シャクジの森で〜青龍の涙〜
静かに眺めていると、月は動き続け、やがて全ての花をその配下に入れた。

そよそよと髪を撫でていく風。泉の水の音はもちろん、花に落ちる雫の音までもが聞こえそうなほど、静寂なシャクジの花の草原。

それは、唐突に、始まった。



「エミリー、この花を見ておれ」



アランにそう言われて注視するエミリーの正面に立つ花の蕾。

それが大きく震えたと思ったらぷっくりと膨らみ、ゆっくりと花弁を開いていった。

間もなく開き切った、その刹那に、小さな破裂音と共にピンク色の粉が花弁から飛び出し、ふわふわと空を舞った。

同時に、ほのかに甘い香りが辺りに漂い、花粉がもたらした香りだと気付く。


その花を皮切りにして、何個もの蕾がゆっくりと花開いてはピンク色の花粉を飛ばす。

それは密度濃く空を漂い、花に届く月明かりをほのかな薄紅色にし、白い花弁をピンク色に変えていた。

そよそよと吹く風に花粉が舞い、花粉の薄紅色と月明かりの黄金色が、開いた花々を交互に染め上げていく。

甘い香りと、映り変わる花の色。

やがて花粉は空高く舞い上がり、月までもが薄紅色に見え、エミリーはアランの肩に凭れてうっとりとその様を眺めていた。



“ロマンティックですわよ”


確かに、素敵――――


「―――きれいだわ・・・アラン様、ありがとうございます」



夢見心地にお礼を言えば、髪に口づけが落とされた。

これは、話に聞くよりも実際に見た方が良いと言った、アランの言葉通りに思える。


“花と空が薄紅色に染まる”


そう言われれば、きっとそれでもいいけれど、実際に目にする美しさには想像には敵わない。



「月が、染まって見える・・・これが“花月”と呼ぶものだ。これは、リックの妻が名付けたのだぞ」

「え、先生が?」



驚いて見上げたアメジストの瞳に、薄紅色に輝くアランの髪が映る。



「きれい・・・」

「そうだ。男には、そのような名は思いつかぬ。一般には知られておらぬゆえに、誰に聞いても分からなかっただろう?」

「はい・・・メイたちも知らなかったの」



受け答えながらもエミリーの手は、滅多に見られない薄紅色の髪をすくってはサラサラと零していた。

銀髪が光りに当たってピンク色にキラキラと揺れる。

ある意味、花よりも美しい。




「国の花になっておるが、実際に目にした者は極僅かだ。一般的には神話の一つと考え、最近では想像上の花だと思う者もおるだろう。・・・シャクジの花は、枯れることはないが、冬の間は冬眠するように花弁を堅い蕾にする。その間に、この薄紅色の花粉を蓄える。そして、この今の月。この満月が重なる今の時期、七日ほどの間に、ゆっくりと花を咲かせ粉を飛ばし、我々に春の訪れを知らせるのだ。花月と命名するまでは、“春の精”と呼ばれていたようだ」
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