愛し
赤信号に変わってからもう五分程経ったんじゃないだろうか。実際はまだ一分も経過していないが、それくらい長く感じる。だが、これからアルバイト…それも接客業だということを頭の中で反芻し、信号が変わったら気持ちも切り替えようと決めたところで青になった。

信号が青に変わったところで自分の気持ちが海のように穏やかになるわけではないけれど。遼は地面を蹴り、また徐々にスピードを上げていった。その時。

「きゃっ!」

「うわっ!!」

角を曲がるところで女子高生が飛び出してきた。遼はハンドルを思いっ切り傾け、急ブレーキを掛ける。

キキーッとけたたましくブレーキ音が響き渡ったが、上手く避けることが出来たようで衝突は免れた。しかし、驚かせてしまったことに代わりはなく、遼は慌てて自転車から飛び降りるとしゃがんだまま動かない女の子に近寄って頭を下げる。

「ごめん!! どこか怪我とかしてない?」

「あ…、はい! 転んでもないし、大丈夫です。ちょっとびっくりしただけ」

栗色のショートボブがよく似合う女の子は、遼に向かって人懐っこい笑顔で右手をひらひらとさせて見せた。そのまますくっと立ち上がると、スクールバッグを左肩に掛け直し、驚いた拍子に落としてしまったらしい小花柄の傘を拾うと、取っ手部分に付いた泥をパッパと払っている。何事もなかったかのように振舞う女の子に若干安心したが、どこかぶつけたりしていないかと遼はその手の平を取り確認した。

「擦りむいたりもしてないね。膝小僧も…うん、大丈夫か。良かった」

安堵の溜息を吐くと、目の前の女の子から軽い笑い声が漏れた。

「膝小僧とか…めちゃめちゃ子供扱いですね(笑)人によっては怒られますよ!」

「ああ、妹がいるからついね。嫌な思いさせたならごめん」

「『人によっては』って言ったでしょ。私は平気です! でも、こんな視界悪い中で傘差し運転するのはやめたらどうですか? もし、私の片目が見えなくて咄嗟に反応出来なかったらどうするの?」

「え…」

「『人によっては』こんな笑い事じゃ済まされないんですから、本当気をつけてくださいね!」

眉を顰めた表情から一転して、女の子はまた笑顔で走って行った。

「片目が見えないって…どんな例えだよ」

小花柄の傘が小さくなるまで見送ったところで自転車に手を掛けたが、目的地まではあと一つ信号を渡ればすぐだということもあり、自転車には跨らずそのまま押して歩くことにした。
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