Secret Lover's Night 【連載版】
目が覚めた千彩は、ゆっくりと体を起こし、リビングから聞こえる声に障子を開くことを躊躇った。

「あんな言い方ないわ」
「ええんや。お兄には暫くひっこんどいてもらう」
「ちーちゃんはにーちゃんの彼女やん」
「その千彩が、お兄には話せん言うんや。しゃあないやろ」

言い争う智人と悠真の声。ギュッと両手で耳を塞ぎ、千彩は苦痛に耐える。


まだ母が生きていた頃、吉村と母、二人が言い争っているのをよくこうして耐えた。千彩が!ちー坊が!自分の名を呼ばれる度に、そこに居てはいけない気がして。こっそりと家を抜け出し、何度も吉村に叱られた覚えがある。


「ちー坊、心配して寿命縮んだがな。家帰ろうな。お前は俺の宝物や」


そう言って迎えに来てくれた吉村の顔は、いつだって苦笑いだった。


「やめて…ごめんなさい…ちさがいてごめんなさい…」


母はお酒を飲んでばかりでご飯を買ってくるのも忘れるような人だったけれど、それでも千彩に色々と話しかけてくれた。

言葉を教えてくれなかったわけではない。大好きな母の話を、いつだってじっと耳を澄ませて聞いていたかった。


吉村はいつだって仕事で忙しくて殆ど家にはいなかったけれど、それでもそれは家族を守るために大切なことだと言っていた。

色んなことを教えてくれたし、その通りにすれば喜んで頭を沢山撫でてくれた。「宝物だ」と、「守ってやる」と言ってくれた。

そんな大好きな二人が言い争うのは、いつだって、決まって自分のことだった。


「やめて…やめてー!」


薄い障子の向こうから聞こえてくる悲痛な叫びに、智人と悠真は「しまった…」と顔を見合わせる。慌ててソファから立ち上がって千彩の元に駆けたのは、言うまでもなく智人だ。

「やめて…ごめんなさい。ちさが悪いの…ごめんなさい」

両手で耳を塞いだままの千彩は、ガタガタと震えていて。そんな千彩にお気に入りのぬいぐるみを押し付け、智人はにっこりと笑って見せた。

「千彩、クマが心配しとるぞ」
「プリン君…」
「せや。プリン食うか?」
「…うん」

不安な時、寂しい時、何だか叫び出したい時、いつだって吉村が笑ってプリンを差し出してくれた。「ええ子にしてたからご褒美や」と、コンビニの安物のプリンのフィルムを剥いで差し出してくれた。
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