和は その場で泣き続けた。


複雑な感情が渦巻いていて、ただ胸が苦しかった。


目の前の景色は涙で滲んでいて何も見えなかったが、

貴史が近付いて来る足音が、聞こえた。


足音は和の すぐ近くで止まり、再び静寂が訪れた。


和の しゃくり上げる声だけが響き、

あとは時が止まっているか の ような、静けさ だった。




ふと顔を上げると、貴史の端正な顔が すぐ近くに あり、

泣き腫らした和の目と合うと、困ったように笑って、

その手が″ぽんぽん″と、頭を軽く撫でた。


貴史の持つ不思議な力の お陰で、

いつの間にか和の気持ちは、信じられない位 穏やかに なっていたのだが、

ただ貴史を好きだ という気持ちだけが心の中に残り、

それだけが、鈍い痛みを与えていた。






「…ねぇ」




どのくらい、二人 黙って居たのかは分からなかったが、

突然 静寂を破って、貴史の声が聞こえた。






「…何…?」




「ちょっと、来て」




和の目を捕らえたままで そう言うから、

和は その瞳に吸い込まれそうに なった。


そして引き寄せられるままに、

歩き出す貴史の後に付いて、自分も歩き出していた。




貴史は校舎に入り、

静まり返る廊下を どんどん と進んで行く。


どこに行くのかは分からなかったが、

かと言って話し掛ける事も出来ず、

和は ただ、貴史の背中を追い掛けた。





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