理想恋愛屋
 いつもどおりに戻った事務所は、午後になっても静かだった。

ようやくオレは、重圧のかかる仕事から開放されて、とても健やかだった。


「…ァあああああぁ……っ」


 ───のだが。


「もう!!」

 苛立った叫び声とともに、とうとう扉がガタつき始めた。

ため息一つついて、そろそろ扉の調子を本格的に見ようと思いつつ犯人を一瞥する。


「あのなァ、いい加減扉くらい静かに──」

「うるっさいわね!元はといえば……っ!」

 と、やっぱり開口一番不機嫌な彼女は、どさっとソファに身を投げるようにして座る。 

「なんなんだよ、一体」

「……大体、途中でいなくなるし…っ!!」

 みるみる怒りを帯びた表情になり、オレはドキリと何故か後ろめたくなる。


「お、オレが何したって言うんだよ?」

「あンのジジイまで往生際悪いし……っ」

 感謝されるのはわかるが、怒られる覚えはない。

しかしオレの反論すらも耳に入らないようで、ブツブツと呟いているのはおそらく文句だろう。


「まったく、報酬もないまま働かされたオレの身にもなれよ」

 あーあ、とわざとらしくうなだれてみたのだが、そんなオレの一言は、どうやらご機嫌ナナメの彼女には相当気にいらなかったらしい。


「なによ、欲しいならお兄ちゃんに貰ってって言ったじゃない!」

「んなもん請求できるか!」

 実を言うと、兄から彼について話を聞いたときにそんな話も出た。

が、オレは辞退した。


そもそも業務の範疇ではないし、なによりも、“仕事”と言われるのがイヤだったからだ。


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