バージニティVirginity
少しの距離も加集は綺麗なフォームのクロールで移動していて、つい、玲は見とれてしまった。


玲の視線に気付いた加集は、コースロープを持つ手を止めて大きな声で言った。

「コーチングしましょうかあ?
誰もいないし」

一瞬、玲は躊躇ったが、
「はい」と答えた。

加集はコースロープをプールサイドに放り投げると、クロールで玲のそばに泳ぎ着いた。

「名前は?」

加集は、両手を腰におくポーズをした。

「志沢玲です」

「俺、こう見えてもコーチングうまいって言われるんです。子供にですけどね。今は幼児クラスと小学生担当してるんだ」

加集の喋り方は急に礼儀ただしくなったり、砕けたりした。

「そうなんですか」
「玲ちゃん、さっきから見てたら、姿勢が悪いよ」

そういうと加集は後ろから玲の肩を両手で掴むと、玲の胸がぐっと開くように引いた。
いきなり肩を掴まれた玲は驚き、すんでのところで悲鳴をあげそうになった。

加集はそんなことには気づかず、背後から今度は玲の左手を掴む。

「このまま、両手を天井に向けてまっすぐ伸ばして、腕は耳の横に来るように…」

加集に言われるまま、玲は両腕を頭上にあげ、クロールの構えを作る。

「よし、いいよ。顎を引いて、目線は
プールの底。じゃ、泳いでみて」

そう言うと加集はパン!と両手を叩いた。





ふわふわとした気持ちだった。

まるで雲の上にいるような。
こんな風な気持ちになったのは初めてだ。

「ウフフ…….」

自室のベッドの上で寝そべり、昼間の
『プライベートレッスン』を思い出すと、玲は、口元からつい笑みがこぼれてしまう。



プールには、結局誰も来なかった。

人目がないと加集はだんだん地が出てきて、ふざけるようになった。


『ほらあ、膝しっかり伸ばして!』

そう言いながら、加集は玲のバタ足をする両足首を掴んだままわざと離さず、玲は一瞬溺れ掛けた。


ーー何するんですか⁉︎

咳き込みながら抗議した。

ーー水の中では何が起きるかわかんないもんだよ。慌てるから、そうなるんだよ。

加集は悪びれもせずに言い、笑った。

ーーイヤッ!もう信じられない、コーチなのに。

ーーゴメンゴメン、そんなに怒らないで。

加集は玲に手を合わせた。


そのあと、仕返しとばかりに玲は、プールサイドにいた加集を押す真似をした。

絶対に落ちることなどないはずなのに、加集は、オーバーによろけてみせて、
プールの中に足から落ちた。


ーー玲、やるな。許さん!

プールの中で加集は、玲を見上げながらわざと怖い顔を作り言った。

ーーーコーチ、わざと落ちたじゃない!

玲は、はしゃいだ。


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