月の大陸
私は私です。
沈黙が支配する中、セリクシニは以前聞いたミランダの寝言を思い出していた
『ミランダ…どこにいるの?』
あの時の言葉の意味はこれだったのか…
ゆっくりと足元にひれ伏すミランダに視線を落とす
本当の事を話せずに、本当の自分を見られる事なく過ごす異界の国は
彼女にとって過ごしやすいものでは無かっただろう

碧の魔女として重責を背負わされ
自分の事など二の次で私たちの為に動いてくれていたのか…

ミランダの中の葵を思うとキツキツと胸が痛み
葵の本当の声を聞きながら何も出来なかった自分に苛立ちを感じた

「…今の話しを信じる証拠はあるのか?」

ステファーノが口を開いた
力なく床に座り込んだエアリエルの傍にはプロスぺローが寄り添い
ミランダに困惑の視線を向けていた

「証拠…といわれましても具体的なものはありません。
ただ、昨夜の戦いでハッキリ相手の顔を確認しました。
アレは確かに本当の私です。
それに、彼女は「これは始まりのあいさつ」と言って…笑っていました。」

ミランダが視線を落とす
瞼にはいつの間にか涙が溜まっていたが決して流すものかと唇をかみしめた

「証拠もないのにお前の話を信じることは出来ない。
ミランダ・オ―グではなくアオイ・スガワラと言うなら明確な証拠示せ。」

ステファーノの語尾が強まった

「申し訳ありませんが、証拠はありません。」

ミランダには掲示できる証拠など何一つ無い

「それでもミランダではないと言うのか?」

「はい。」

ミランダは真っすぐステファーノを見上げた
彼女の碧の瞳には強い意志がハッキリと見える

「そうか…。ではミランダ・オ―グでは無いと言うなら
正体不明の異世界人として曾於の身柄を拘束させてもらう。
カイル、ロザリンド。この者を地下牢へ。」

「…ですが…。」

ステファーノに言葉に難色を示したカイルだったが再び同じ事を命令され
ミランダに近づいた

「じゃ、立って。」
カイルに言われるまま素直に立ち上がったミランダだったが
思わぬ声で動きを止めた

「…証拠はあります。」

それはエアリエルの声だった

「どういうことだ?」

「証拠はあります…彼女の発言は全て事実です。」

「だが、本人が証拠はないと言っているのだぞ?」

「アオイが無くても、私にはわかります。」

「紅の魔女殿にはわかるのか?」

「はい…。まずは彼女…アオイの言う事が事実だと
アオイと契約している水の精霊王が申しています。」

「水の精霊王?ミランダと契約している精霊か?」

「はい。精霊は偽りを嫌います。その為嘘は付けない。
その精霊王が姉との契約を破棄して
アオイの魂と契約を結んだと言っています。」

エアリエルの目にはしっかりとミランダに寄り添う龍王の姿が見えた
そしてその姿はセリクシニや他の弟子たちも同様に捕える事が出来た

「…まさか…。本当に異世界から来たとは…。
しかも碧の魔女と中身が入れ替わっているなんて…信じられん。」

「王太子殿下。先日姉が倒れてから少しですが姉の様子が変わっていました。
ほんのわずかですが、雰囲気も穏やかになり
以前よりも笑顔が増えた気がしておりました。
ここ数年の姉はどこか影があって、情緒不安定が続いていたので回復の兆しが見えたのだと喜んでいたのですが…。
アオイが姉と入れ替わったのが倒れた時を境とすれば納得できます。」

そこでエアリエルの言葉は途切れた
ミランダの中の葵は初めて聞くミランダの近況に驚いた

設定では前向きでサバサバしていて…教養ある優しい女性のはずなのに…
そんな風になっているなんて
それに「ここ数年」って言う事は日本と時間の流れが同じか判断できないけど
かなり前から私の考えたミランダは存在していない…

どういう事なんだろう?
私が考え出した世界なのに…設定しきれなかった所はまだしも
主人公なのに当初の設定とこんなにもずれるなんて

「…ではアオイよ。今碧の魔女が入ったお前の本体はどこにいるかわかるか?」

ステファーノの質問に葵は首を横に振った

「お恥ずかしい話ですが。
自分の体ながら、どこにいるのか皆目見当もつきません。」

「では質問を変えよう。
アオイよ…お前はこれからどうしたい?」

真っすぐ向けられた射るような視線に葵は一瞬戸惑いを見せたが
すぐにその視線を見つめ返した

「私は自分の体を取り戻したい。そして元の世界に帰りたいです。」

どこにあろうと私は私でありたい

元の世界に帰る術があるのか解らない
それでも、私の体も連れて菅原葵として元の世界へ帰りたい

その強い意志は
ハッキリとステファーノに伝わった


「わかった。
ではこのまま碧の魔女として生活してもらおう。」

「え?」

「今国内は魔獣の事件によって乱れている。
そこにさらなる困難を与えるのはどうしても避けたい。

…本物のミランダ・オ―グと接触し真実が解るまで
アオイ、お前には碧の魔女として今まで通り我が国に力を貸してほしい。」

「ステファーノ様…。」


「悔しいが、魔女が相手となると太刀打ちできる力がわが国には無い。
幸い、アオイは魔女と対等の魔力を持っているし
お前がいればミランダ・オ―グを捕まえることも可能だろう。」

不意にステファーノの表情が和らいだ
ステファーノとて自分たちに協力し、命がけで自分を庇った葵を
拘束するのは本意ではなかった

騙されていたとはいえ
葵が背負っているものの重さと大きさを知った今
この娘を助けてやりたいという気持ちがしっかりと芽生えた

「では、アオイ殿の身柄は公爵家が責任を持って保護いたしましょう。」

セリクシニもまたステファーノと同じ気持ちだった
いや、もともと芽生えていたアオイへの気持ちがしっかりと形を成して
彼の心に宿っていた


「セリクシニ様…。
お気持ちは嬉しいのですが…これ以上ご迷惑をかけるわけには…。」

次々と進んでいく話に葵は戸惑いを隠せなかった

「アオイ殿を魔女から守るとしたら確かに役不足ですが
世間や権力から守る事は出来ます。

本来の姿を取り戻して、元の世界に返るまで公爵家が後見人になり
あなたの身分を証明しお守りいたします。」

自分の体を取り戻しても元の世界に帰れるかどうかはわからない
もし、帰れなかった場合の事を考えると怖くなったが
それでも、身分も財産も無いこの世界で一人で生きていく場合の事を考えると
セリクシニの提案はとてもありがたかった

しかし葵の中には罪悪感が大きくなる


「ステファーノ様、セリクシニ様。
お気持ちは大変嬉しいのですが…ここまでしていただいても
私には何も返せるものがございません。」

私は二人を騙していた
多くの人間を欺いていた
それなのにここまでしてもらって良いのかな?

投獄されても仕方がないと思っていたし覚悟もしていたのに…

「礼など要らん。
その代わり、絶対にミランダ・オ―グを捕まえて事件の真相を解明し
自分の体を取り戻すと約束しろ。」


「!!」

ステファーノがニヤリと笑った
その顔はまるで悪戯をしかけた小さな男の子の様にどこか楽しげで
でも、どこか優しいものだった

「それでいいよな?セリク?」

「ええ。ですが二つ加えさせてください。
一つは私の事をセリクとお呼びください。
そしてもう一つは、ご自身をもっと大切に…
怪我はなるべくしないようお願い申し上げます。」

セリクシニの深い森を思わせる瞳が少しその色を増す
最後につけたした一つは彼自身の願いでもあった

「…だそうだ。
どうだ?アオイ・スガワラ。
この約束守れるか?」

少しセリクシニの言葉に呆れたように頬を緩ませると
ステファーノは真っすぐ葵を見つめた


ステファーノとセリクシニの前で最敬礼をとる

「私の命をかけてお約束いたします。」

命は安いものじゃない
でも体を取り戻して者との世界に返るためなら
賭けたっていい

この時
葵は静かに心を決めた
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