オレンジ

照れ隠しでつけた「です」を、彼は笑う。


「ごめんね。できるだけ、頑張るけど。…頑張りたいんだけどさ。…無理かも」
「え?」
「いや、その、優しく、してあげたいんだけどさ。その、なんつーか…余裕、ないかも」

あたしを安心させようとしてくれているのか、それとも彼も照れているのか。
困ったようなその笑顔は、初めて出会って言葉を交わしたあのときに駅の公衆電話の前で見せたぎこちない笑顔に、よく似てる。

そしてあたしは思い出す。

付き合い出してからの彼はいつもあたしの前では大人で、女の子の扱いにもよく慣れている風で、恋愛もきっとたくさんしてきたんだろうと思わせる、そんな態度でいるけれど。
だからあたしはいつも、自分だけがとても幼稚でウブな女に思えて、そのことに引け目を感じたりしたことだって、あるけれど。

あのときに見せたぎこちなさや、不躾な態度は全て、余裕なんて全くなかった彼の精一杯の振る舞いだったのだということを。

そう思ったら、目の前で不安そうにしている彼が、いつもよりもとても頼りないように見える。
それは決して、あたしを落胆させるものではなくて、むしろ、愛おしい。

「…大丈夫、だよ」


あたしだってもちろん、心臓が破裂しそうに脈打っているのだけど、急に幼い少年みたいに思えてきた彼を安心させてあげなきゃならないと、強く感じた。

少し震える両腕を彼の背中にまわす。
自分からこんなことをするのは初めてで、恥ずかしいけれど、顔を埋めた胸から聞こえてくる彼の鼓動はあたしに負けないくらいの速度でリズムを刻んでいる。

うん、やっぱり、大丈夫。
そう思えたとき、彼はまたあたしを抱き締めた。






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