俺と初めての恋愛をしよう
植草は、自己否定ばかりする今日子をなるべく褒めるようにした。しかし、これはとても難しい。褒め過ぎても卑屈になっている今日子には逆効果になる。今日子が少しでも自身があるところを探さなければならないのだ。
 今日子は、嬉しかったのか、褒められたことに顔が赤くなる。

「海とかプールもやっぱり行かないんでしょ?焼けるものね」
「海は小学校まで、プールは授業があった高校2年まで入っていましたが、授業以外では入っていません」
「ということは、海はかれこれ20年弱行ってないってこと?プールも授業の時だけ……。私もそうすればこのそばかすと毎日格闘しなくて済んだのね」

 植草先生はデスクに置いてある鏡をのぞきこんだ。
こうした何気ない会話から、今日子の闇の原因を探し出すのだ。

「でも日焼けやそばかすが楽しい思い出なんじゃないですか? 私には何も思い出はないので」

 今日子は氷が溶けて少し薄まったアイスコーヒーを飲んだ。カップの周りには、大きな水滴が出来て、それをハンカチで拭く。

「何もないって、夏の思い出かしら?」
「あ、いいえ。気にしなさらない下さい」

 ポロリとこぼしてしまったが、植草には関係のないことだと話を止めた。

「なんか、あなたといると、とても落ち着くのね、なんでかしら。人を包む優しさのオーラでも出でいるのかしらね?」

植草は、まじまじと今日子を見た。

「気のせいです。私みたいなつまらなく醜い女なんて。あ、もう休憩時間が終わるので、失礼します。また寄らせていただきます」

 腕時計を見ると、1時10分前だった。
いつもの場所、習慣が崩れ、時間配分が狂った。
今日子は慌てて残っているアイスコーヒーを飲み干した。

「もうそんな時間?楽しかったわ。話し相手をしてくれてありがとう」
「いいえ。では、失礼します」

 一礼をして医務室を後にした。
 家族以外の人と会話をする、ましてや自分のことを話すのは初めてだ。
生きていく中で、人と会話をしなくても大丈夫な人などいるのだろうか? いるかもしれない。それが、今日子だ。一人アパートでいても独り言を言うこともない。
会社では会話であって会話ではない。なぜなら、業務上必要な言葉だけを話しているに過ぎないからだ。会話はやはり、そこに感情が伴っていることが重要なのだ。今日子にそれが出来るのだろうか。
 しかし、今日子の状態を知る植草先生は、構えることなく話せる唯一の人となりそうだった。
 問題は気持ちの重荷となっている後藤だ。午後の業務も何事もなく済めばいいと思わずにはいられなかった。



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