俺と初めての恋愛をしよう
後藤は叱責することなく、穏やかに今日子に言った。
今日子は腕時計をすかさずみる。あと2時間で会議が始まる。
ページ数は20。会議資料は30部。ホッチキス止めを外すところから始めるが、間に合うだろう。

「会議室をお借りします。すぐに直してまいります」
「ああ、頼む」

今日子は資料の束を抱え、深々と後藤に頭を下げた。
デスクに戻って、ペンとホチキスをデスクにあった封筒に入れ、小走りで会議室に向かう。
今日子の昼休憩場所でもある会議室の階に、階段を使って駆け上ると、息も荒いまま、資料を広げた。

「早く、早くしなくちゃ」

まず、資料からホチキス止めを取る。
焦りから手が震えだす。

「落ち着いて、紙が破けてしまうわ」

今日子は自分に言い聞かせ、落ち着こうと、口に両手をあてて深呼吸をする。発作を防ぐためにしていることだ。

「今、私は、緊張している。早く仕上げなければと緊張している。だけど、十分時間はある。だから焦らなくても大丈夫だ」

緊張を和らげる方法を口に出して言う。この方法でいくらかは落ち着くはずだが、今回は違うようで、効果がない。
心臓の鼓動が激しく、その鼓動で身体が動いてしまうほどだ。

「今日子、大丈夫、大丈夫」

ずっと呪文のように言って、ホチキスを外す。
黙々とその作業をしていて、ふと腕時計を見ると、こんな単純作業でかなりの時間を取られていることに気が付く。

「大変、早く」

焦れば、焦るほど手が震える。
そんな時、会議室のドアが開き、後藤が入って来た。

「林」
「部長、ご迷惑をかけ、申し訳ありません」

今日子は立って、深々と頭を下げた。

「そんなものは、ミスに入らない。気にするな」

優しく言うが、後藤が完璧主義者だと言うことは、今日子が良く知っている。
資料のまとめなど、中学生でも出来ることだ。あり得ないミスだ。
後藤と会話をしている時間も惜しく、今日子はすぐさま続きを始める。
後藤がいると思うと、更に手が震える。

「林」
「あの、ちょっと、緊張してしまって、一人で出来ますから……あれ? あれ?」

今日子の手元は、既に針を外すところにホチキスを充てることも出来ないでいる。

「林、ちょっと」
「あの、出来ますから!」
「林……」

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