とある神官の話




 指を組み合わせ、肘をたててこちらを見ているのは養父と、教皇としての顔だ。フォルネウス。エドゥアール二世。後者は、重いものだというのを知っている。
 過去。
 それは、大切か否かといったら大切なものなのだろう。しか誰もがそうとは限らない。
私だってそうだ。幼いころは良い思い出なんてない。
 彼女はどうだ?
 彼女だってそうだ。
 私が知るのは、一部だけなのだろう。説明されても、経験した本人以外でなければそれだけでも充分出血する痛みだというのに、本人が抱えている全てならどうなる。
 確かに、彼女の過去を知ったときは驚いた。しかし――――。そう、彼女は彼女だ。気持ち悪いという人、それこそ死んだほうがという話も上がった"当時"があっても、ただ、そういうのがあったというだけで私自身の想いは変わらなかった。ただ、"彼女"がいい。
 過去をどうこう言うなら、そいつを殴りに行ってやろうではないか。
 彼女が泣きそうになるなら、傍にいてあげたい。




「愚問ですね」

「―――そういうと思った。だが言っておくが、俺が助けてやれる範囲は限られているぞ」

「迷惑は少ないように一応努力はします」

「一応かよ」




 いけませんか。そう言うと声を出して笑った父は「上出来だ」などと漏らす。
 この人は…。
 呆れながらも思わず笑いそうになる。変わらないのだ、この人は。

 部屋の扉がノックされ、神官が「猊下、そろそろお時間です」と告げる。まえもって訪問することになってはいたが、長居は出来ない。息子(血の繋がりはないが)といっても、ここは仕事場である。それに―――高位神官とはいえ、本来ならばこう簡単に教皇に会えないのだ。
 私のために、時間をさいてもらったのだ。





「ゼノン。お前は好きなようにやればいい」





 退出際にそう言われて、「ええ」と返す。父は意味深な笑みを浮かべていた。

 此方は不利な所もある。真実などが後から知ったという状態が殆どで、振り回されている。とくにその渦中の人物がシエナだ。ジャナヤの件からずっと彼女に関わってきている。

 しかし、だ。

 味方を考えてみる。枢機卿ならキース、ミスラ達がいる。あの奇人変人代表のハイネンだってそうだ。あとはバルニエルの神官たち。アゼル、ラッセル……。奇人変人大集合だが、力は本物だ。
 一人で戦うわけではない。
 そう、一人ではない。
 シエナは、己を低く捉えている。自分のせいで誰かが傷つくのを恐れる。

 傷つけてくれればいい。
 その傷も、思い出としてしまうから。





「……!」





 宮殿内の廊下。その窓側に顔を向けているのは、金髪の枢機卿衣を纏った男だった。
 金髪だなんていくらでもいるが、問題はそこではない。問題なのは、そう―――――「何故貴方が」




「リシュター枢機卿長」




 そう呼ぶと、冷徹な色を含んだ青色の瞳をこちらに向けた。優しき賢者、などと呼ばれる男とは遠いそれに背筋がざわついた。
 危険。
 直感だった。
 密かに術を練り上げながら、言葉を待つ。
 謹慎中であるのに、一人でいるのはおかしい。視界にはリシュター枢機卿長以外の姿はない。宮殿、だというのに。




「貴方はどうしてそこまでするのです」

「何がです」

「愛、とやらのためですか?」




 なんの話だ……?
 彼が示すのは、彼女のように思える。
 気を付けろ。
 ハイネンの言葉や、エリオンのことを思い出す。先手を打つべきか、もう少し様子を見るか。
 氷を思わせる青が、すっと細められた。


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