ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 再び美鈴が光を感じるとそこは保健室のベッドの上だった。周りには心配そうな顔をした佐枝、義男、啓介が居た。彼らは美鈴が意識を取り戻すと皆安心したように胸を撫で下ろしていた。
「目を覚ました。よかったぁ」
 佐枝が大げさと思えるほどの反応を見せた。その目は同意を求めるように義男に注がれ、義男はそれに応えるように頷いた。
 そこに風間由香里が顔を見せる。
「鏡さん、また貧血?活態度が乱れているんじゃない?」
 起き上がっていた美鈴は下を向いた。
 そのとき、授業の開始を告げるチャイムが鳴る。
「さぁ、授業が始まるわよ。行った行った」
 由香里は佐枝達を追い出しにかかる。美鈴も授業に向かおうとベッドから降りようとするが、由香里は「もう少し休んでいなさい」とそれを止めた。それを見た啓介は教室に戻りかけた足を止めてそこにとどまろうとした。
「おい、啓介。どうした?」
 それに気がついた義男が声をかけてきた。
「先に行っててくれないか。俺、鏡に話があるんだ」
 啓介は義男に応えると同時に由香里に同意を求めた。由香里は仕方がないといった風情で腕を組み、頷いた。
「そっか、じゃあ先に行っている」
 義男は佐枝を携えて教室に向かった。
 扉が閉じられると保健室の中は静かだった。
 由香里は古い椅子を美鈴が横になっているベッドの脇に置くと啓介に勧め、ベッドの周りにあるカーテンを閉めて離れていった。啓介はそれを確認すると用意された椅子に腰をかけた。
「なぁ、鏡。もうわかっているんだろう?」
 啓介の声は低く、そして震えていた。
「わかっているって、何を?」
 美鈴の目がまっすぐ啓介を見据える。
「俺のこと…」
「俺の事って…。あんたは私の幼なじみでしょう?」
 美鈴の目は何か触れたくないことがあるように啓介から逸れた。
「お前、覚えているんだろう?あのときのことを…」
 啓介は美鈴に背を向ける。
 彼が言っているのはマゴットと相まみえたあとのことだと美鈴は思った。あのとき、啓介の持つ剣の先は『紅い菊』である美鈴の方に向けられていた。強い決意こそ感じられなかったが、その刃を美鈴に突き立てようとしていたことが彼女にもわかった。だが、美鈴はその記憶を今日まで信じようとはしなかった。
『紅い菊』の時の美鈴の記憶は曖昧だった。彼女の感情の動きや伝わってくる痛みなどは覚えているのだが、外界の記憶は殆ど覚えていないか、どこかが抜け落ちていた。まるで闇の中でフィルターにかけられた映像を見、音を聞いているような感じだった。だから、あの出来事もぼんやりとしか記憶していない。したがって、美鈴はあのときの出来事を記憶の奥にしまい込んでいた。
 だが、あれはやはり真実だったのだ。逃げられない現実が美鈴を包み始めた。
「それじゃあ、啓介も私のあの姿を…」
「見ていたよ。もぅ一人のお前の姿を…」
 美鈴は本当の意味での『紅い菊』の姿を知らなかった。彼女の精神と入れ替わった美鈴は暗い精神の奥に押し込まれてしまう。外界とは殆ど遮断され、『紅い菊』の思考のみが強く美鈴の中に送り込まれてくる。そのイメージが美鈴にとっての『紅い菊』だった。それは『もの』に対してあくまでも獰猛な鬼の姿だった。
「化け物でしょう、私…」
 美鈴の声も震えている。
「そんなこと、思わない。あれはお前じゃないんだから…」
 啓介の目が美鈴のそれを捕らえる。
「でも…」
 何かを言おうとした美鈴の唇を啓介の人差し指が押さえる。
 二人の視線が交差する。
「俺はあの『紅い菊』を葬るように親父に言われている。俺の一族の務めなんだそうだ…」
 啓介の瞳が寂しそうに光った。やはりそうだったのか、かろうじて残っている記憶を辿って美鈴はそう思った。
「それって、私を殺すっていうこと?」
 美鈴に声が哀しく響く。
「わからない…。『紅い菊』はそう言っていた。だけど…」
「だけど?」
「俺はお前を殺しはしない…。誰にも、殺させやしない…」
 それは横尾のことをいっていた。信の事件の時、美鈴に銃口を向けた『狩人』の事だ。
 啓介の父、健三は彼が『紅い菊』を討たなければ、同じ一族の『狩人』がそれを討つだろうといっていた。そうして現れたのが横尾だった。彼が現れた以上、他の『狩人』もいずれ遠くないうちに現れるだろう。彼らは『紅い菊』を滅ぼすためならば、美鈴の命など惜しげもなく奪ってしまうだろう。自分が『紅い菊』を倒さなければ、その日は必ず訪れる。
 だが、何故、何のために、『紅い菊』を滅ぼさなければならないのだ?
 父は『紅い菊』が『もの』を呼び込んでいると言った。ならばその『もの』を自分が全て倒してしまえばいい。『紅い菊』が『もの』の力を自分のものにする前に…。
 そうすれば『紅い菊』が覚醒することはない。そうすれば美鈴を守ることが出来る。出来るはずだ…。啓介はそうして自分の迷いを断ち切っていった。
 膝の上で堅く握られている啓介の拳に美鈴の手がそっと触れた。
「私のこと、嫌いにならない?」
 美鈴の顔が啓介のそれに近づいていく…。
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