ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~

とおりゃんせ

 美鈴がアパートに帰ったのはそれから一時間ほど過ぎた頃だった。
 あの光が消えてしまってから二人はしばらくの間、その気配を探っていたのだ。公園一面に広がったあの光は何だったのか。まるで何かに触れようとしているかのように枝分かれした光、『紅い菊』は明らかにそれに反応をしようとしていた。ならばそれは『もの』であったはずだ。だがそこからは悪意どころか何の意志も感じられなかった。これまで出会ってきた『もの』たちとは明らかに雰囲気が違っていた。
 美鈴は渦巻く疑問を払いのけるようにしてアパートのドアを開ける。
「ただいま」
 美鈴の重たい唇から漏れた言葉を聞き、テーブルで塞ぎ込んでいるように見えた美里が顔を上げた。
「おかえり。絵里ちゃんは見つかった?」
 美鈴はただ首を横に振ることでその言葉に応えた。指先が少し冷たい。
「そう、心配ね…」
 美里はそう言うと再び目を伏せる。だがその目は鋭く光っている。
 何かを悩み、そして決意をしているような目だった。
 そんな母の表情をみるのは美鈴にとって初めてのことだった。
 母の傍らに置かれたマグカップのコーヒーが冷めた色を浮かべている。
 美鈴はそっとそれを取り上げ、暖かいものと入れ替えて元の居場所においた。
「ねえ、お母さん…」
 美鈴はテーブルの向かい側に座る。
「なに?」
 美里の目が再び上げられる。
「どうしたの?」
「…?…」
「何かあったの?いつものお母さんじゃないみたい…」
「そう?別に何もないわよ」
 美里はぎこちなく笑ってみせる。瞬間、彼女の視線がそらされた。
 嘘だ。何もないはずはない。
 美鈴は母の態度をそう読み取った。母は何かを隠している。そしてこれからも隠し通そうとしている。それが何なのか、美鈴は知りたいと思った。しかし同時にその秘め事に触れてはならないと彼女の心の奥が告げていた。これ以上、母に尋ねるのはやめよう。美鈴はそう思った。きっと時期が来れば話してくれるはずだ、それまで待っていればいい…。
 美里は相変わらずぎこちない笑顔を作っている。けれども先ほどまでの鋭くとがったような気配は消していた。目の光はこれまでと同じように優しいものに戻っていた。
「ところで、最近啓介君とはどうなの?」
 唐突に放たれた美里の言葉に美鈴の鼓動が高鳴った。今度は美鈴が表情を作った。
「どうって、別に変わりないわよ」
 耳元が熱くなっていく。
「そう?好きなんじゃないの?」
 その一言で美鈴の体中の血液は一気に頭に上ってきた。
「そ、そんなんじゃないわよ!」
 とっさに美里の言葉を否定する。だが、美里はその言葉を聞いてはいない。
「あら、何年あなたの母親をやっていると思っているの?気がつかないわけないじゃない」
 そう言った美里の顔からはぎこちない笑顔が消えた。何かを言い出そうとして考え込んでいる風であった。
「お母さん?」
 美里は我に返る。
「何でもないわ…。それよりあなた、気をつけなさいよ」
 美鈴の脳裏に保健室での啓介の言葉が蘇る。母ならば当然そのことは知っていたはずだ。だが母はそのことを話してはくれなかった。『紅い菊』についてはまだ隠されていることがあるのではないか。一体、『紅い菊』とは何なのだ?美鈴の胸の中で得体の知れないものが蠢き始めた。
「気をつけるって…、啓介が私を殺すかもしれないっていうこと?」
 その言葉に美里の表情が固まった。
「あなた…、知っていたの?」
「啓介から聞いた。『紅い菊』を葬るのが自分の務めなんだって…」
 美里の表情は変わらない。園からだが微かに震えているようにも見える。
「それで、啓介君はなんて…」
「どうしたらいいのかわからないって…。ねえ、『紅い菊』ってなんなの?何故私は命を狙われなければならないの?」
 美鈴はまっすぐに母の顔を見つめた。その視線はもはや逃れることはできないことを美里に告げていた。
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