ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~

悲痛な声

 夕暮れ時、美鈴は母親の美里と商店街を歩いていた。下校の時、一人で歩いていたら偶然母と出会ったのだ。
 街角は夕食の支度をするための買い物客で満たされていた。その中をスーパーのビニール袋を下げた親子が歩いて行く。街は何事もなく一日を終えようとしていた。
「今日は佐枝ちゃんとは一緒じゃなかったの?」
 美里は佐枝と義男が付き合っているのを知らない。美鈴も母に話すようなことでもないと思っていたので、あえて話すようなことはしなかった。けれども訊かれた以上話さない訳にも行いかず、彼女たちの近況を教えた。
 美里はそれを聞いて「ああそうなの」と簡単に答えた。彼女はこの年代ならばよくあることと判断したようだった。だが、美鈴は少し不満だった。もう少し娘である私のことを思って欲しい、そう感じていたからだった。
「それでね、最近佐枝は付き合いが悪いのよ…」
 美鈴は気づいて欲しいという気持ちを込めてそう言った。
「あら、あなたは寂しいの?」
 美里は今更ながら気づいたように美鈴に言った。
「別にそんなんじゃないけど…」
「わかった、あなた佐枝ちゃんを杉山君に取られたと思っているんでしょう?」
 美里は意地悪そうに美鈴の目を見た。
「何よ、それ」
 美鈴は心の中を覗かれそうな気がして視線をそらした。
「あなたは今まで自分に向いていた佐枝ちゃんが他の人の方を見るようになって寂しいのよ。でもね、好きな人が出来るとそうなってしまうものよ。特にあなたたちの年代ではね」
 美里がそう言ったとき、突然美鈴に激しい思考の波が襲ってきた。それは強い頭痛と胸を締め付けられる感覚を美鈴に与えた。それに耐えきれなくなって美鈴はその場にしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
 美里は娘に激しい変化が訪れたものと思い、彼女を気遣った。
「わからない…、何か強いものが私の中に入り込んできたみたい…」
 美鈴は苦しい息の中、それだけを応えた。
「まさか、『もの』?」
「ううん、違うみたい…。もっと幼い、子供の感情のような…」
 美鈴は送られてくる思考の波を探るように激しい頭痛と闘っていた。
 美里が言った『もの』とは、この世に属さない生命のことだった。幽霊とか妖怪といった類のものの総称といってもいい。多くの『もの』はこの世に属している生命に興味を示さないが、強い憎しみや悲しみ、嫉妬などの負の感情を持った場合、生きている者に害を与える場合がある。このような『もの』は赤い光に包まれており、憎悪などの対象に取り憑いてしまう。
 また、稀に『もの』が肉体を持つことがある。対象の生き物の魂を排除し、その肉体を自らのものとして乗っ取ってしまう場合だ。この場合、取り憑いた『もの』を排除すると乗っ取られた者の命は尽きてしまう。美鈴も母の美里もこうした『もの』と関わってきた。
 だが、今美鈴を襲っている思考は『もの』のそれとは異なっていた。生きている者の強い思考の波だった。
 美鈴はそれを感じて思考の波の源を探ろうとした。
 しかし思考の波の強さの方が勝っていた。その強さのために美鈴の意識は薄れていった。
 その中で彼女は悲痛な子供の声を聞いていた。
『お母さん、ごめんなさい…』
 それはあまりにも幼い、無垢な子供の声だった…。
< 5 / 66 >

この作品をシェア

pagetop