ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 不意に九朗の意識が途絶えたのを美鈴は感じていた。先ほどまで闘っていたキメラとは比べものにならない『もの』と闘い、九朗は命を落としたのだ。美鈴の中の『紅い菊』がそう叫んでいた。
 一体何がこれほどまでにキメラを成長させたのか。美鈴はその疑問の答えを探ろうとした。
 しかし、彼女はそれを行うことは出来なかった。
 美鈴の瞳が紅く染まっていく。
『紅い菊』が美鈴の体を支配していく…。

 キイイィィィィ…。
 甲高い金属音が啓介の脳裏を駆け抜けた。鼓動が激しくなり、音が遠ざかっていく。
 体が熱くなっていく…。
(目覚めよ…)
 意識の底の方から聞いたこともない『声』が聞こえてくくる。
 突然襲ってきたこの変化に啓介は恐怖すら感じていた。自分というものを形作っている根本のものが土台から崩れだしていくのが感じられる。
(目覚めよ。『伝承者』)
『声』は今度は体の外から聞こえてきた。
 恐怖に震えながら啓介はその方向に目を向ける。そこにはいつも彼が持っている仏具があった。
 それは脈打つように光っていた。
 仄かな赤から黄に、黄から白へ、そして青に…。
 やがて仏具はその一方から青白い光を伸ばし、そしてそれは剣になった。
(目覚めよ『伝承者』。そして私を取れ)
 破邪の剣は啓介に語りかけてきた。
 金属音が高くなっていく。
(目覚めよ、もはや時間がない)
 更に高くなっていく。
 高く、更に高く…。
 啓介は耳を覆った。
 だが、音は消えない…。
 それどころか、更に高く、大きくなっていく。
 やがて彼の頭脳は破壊されることを避けるように自らの機能を一時的に停止した。
 啓介はその場に崩れるように倒れ、意識を失っていった…。

 街の中をけたたましいサイレンを響かせて複数の警察車両が走っていく。
 白と黒とに塗り分けられた車両、灰色に染められ、窓に鉄格子がはまっている車両、普通のセダンの屋根に赤色灯を点している車両。それらは皆同じところ、あの工事現場を目指していた。だが、彼らは知らなかった。異常な事態が起こっているという通報によって彼らはその場所に向かっているのだが、そこで起こっていることが何かを知るものは一人もいなかった。
 覆面パトロールカーの一台を荒々しく操っている恵やその助手席に収まっている小島でさえも同じだった。恐らく常識では計り知れないことが起こっている、そこまでは想像が出来たが、その正体まではわからなかった。それでも、自分たちにはその出来事に対して何ら有効な手段は持ち合わせていないことだけはわかっていた。自分たちが行くことで、事態を収拾できるとは彼らは思わなかった。むしろ自分たちは無事には帰れないのだろうという予感めいたものが彼らの脳裏にあった。
 そのために小島も恵も口を開こうとはしなかった。言葉にしてしまうと、それは恐怖に変わってしまうように思えたからだった。
 そう、彼らは恐れていた。
 この街を包み込んでいる淀んだ空気を恐れていた。
 一体いつから、そして何が,この街をこのように変えてしまったのだろう?
 小島は答えのない問いを繰り返していた。そして恐らく使うことになるだろう自分に割り当てられた拳銃を手にして、その細部を点検した。
 恵はただ前にだけ神経を集中してハンドルを操作している。急カーブに差し掛かったとき、彼女は必要以上にハンドルを切り、無意味にさえ思えるほどの加速を車両に加えていた。タイヤが甲高い悲鳴を上げて路面を滑っていった。
 その悲鳴は二人の心の中を示しているようだった。
 出来ることならばその場所に行きたくはない。二人の生存本能はそう告げていた。
 二人を乗せた車両は現場に向かう道の最後のカーブを曲がっていった…。
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