結婚白書Ⅲ 【風花】


帰りの飛行機の時間を聞くと同じ便だった



「じゃあ 日曜に空港で」



東京駅で彼女と別れて 自宅に向かう




「息子さんもパパの帰りを待ってるでしょう 

ご家族とゆっくり過ごしてきてくださいね」



彼女の温かい言葉はありがたかったが 私の心は重かった

妻に 出張で帰ると連絡した日のこと



「そんな 急に言われても……その日は困るわ 

私 お友達に旅行に誘われてOKしちゃったのよ」



それが妻の返事だった

賢吾を実家に預けて 北陸に旅行に行くのだと言った



久しぶりに帰ったわが家は ガランとして人気がなく

まるで他人の家に帰ってきたみたいだった

書斎から読みたかった本や書類を取り 近くに住む義父の家に向かった




玄関を開けると 賢吾が飛びついてきた

荷物を床に置き 息子を抱き上げる

賢吾の嬉しそうな顔が 私の暗く沈んだ気持ちを引き上げてくれた



義母は 精一杯のもてなしをして待っていてくれた

そして 義父は娘の不在を申し訳なさそうに詫びた



「一人で不自由してるのに衛さんには申し訳ないけれど 

私たちは孫と一緒に暮らせてありがたいと思っているの」



義母の言葉から 妻と息子は ほとんどここで暮らしているのだとわかった

妻の帰りは日曜の夜だという


二日間 賢吾と二人で出かけた

以前から約束していた乗り物の博物館では 賢吾の目は興味でいっぱいだった

ずっと欲しいと言われていた 電車のおもちゃも買った

帰宅してからも 賢吾と一緒に遊んで過ごす


私が帰るのに妻が不在だという事実を 時々思い出しながら……



妻の自分本位な行動に不快感を覚える

単身赴任の夫が帰ってくると言うのに 友人と旅行だと家を空ける

その無神経さが腹立たしかった

だが 妻に腹を立てる自分の中に もう一つの感情が芽生えていた



家に帰って息子と遊びながら

食事をしながら……

ふと 桐原さんの顔が浮かんでくる

滅多に見せない 私にだけ向けられたような笑顔と 不安げな手が

私の中に オリのように沈殿しては また浮かび上がってくる



飛行機で 彼女に重ねた手の感触 

あの手に また触れてみたいと思った

そして あの柔らかい色を帯びた唇にも……



彼女の存在が 私の中で次第に大きくなってゆくにつれて

誰かを想い始めたときのような 初々しい感情を呼び起こした




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