結婚白書Ⅲ 【風花】


自分から彼を求めたのは初めてだった

何の確証もない 約束された未来もない私達の関係

肌から感じる 彼の手応えだけが私の支えだった


互いに むさぼるように相手を求め

激しさの中に安らぎを見いだして 私達はようやく肌を離した

湿り気を帯びた背中に シーツが張り付く




「シャワーを浴びてこようか」


「えぇ……」




そこには 誰にも邪魔されない時間が流れていた





数日後 予期せぬ事態が起きた

父が前触れもなく職場に現れた

父は局のOBだし ここに来るのは不思議ではなかったが

私の心はざわついた

私を一瞥すると 窓際の私の課の課長補佐席に近づき

牧野補佐としばらく話し込んでいた

いつもは隣に座っている仲村課長は 局長と出張中だった


何を話しているのだろう

気になってチラチラと父の方を盗み見る


やがて そこを離れると 庶務の職員に話しかけて局長室に入っていった

局長は出張で不在 

局長室は管理職の会議にも使われるが 今日は会議の予定もない

父の真意がわからず苛立った

すると 庶務の女の子が 遠野課長に何かを告げるのが目に入った


まさか!


私の予想は的中した 

彼は立ち上がると 局長室に向かって歩き出した


お父さんどうして

止めなければ!


咄嗟に立ち上がった私の肩を 誰かが押さえた

牧野課長補佐だった



「桐原君 今夜付き合わないか」



のんびりした声だったが 目は私を見据えていた





遠野さんと父が局長室に入って 30分以上がたっていた

話の内容は容易に想像がついたが どんな話をしたのか

遠野さんが窮地に立たされていることだけは確かだった


ようやく二人が出てきたのは それから間もなく

遠野さんが父に深々と頭を下げているのが見えた 

すぐにでも彼の元に行って 父とどんな話をしたのか聞きたかったが

それは出来ない

更衣室にいき 彼の携帯にメールした



『父が 失礼なことを言ってきたんじゃありませんか?

話を聞きたいけれど 今夜 牧野補佐に呼ばれています 

父が話をしたんだと思います そのあと会えませんか』



彼から なかなか返事が来なかった

ようやく返事が来たのは 牧野補佐との待ち合わせの店に向かう途中だった



『僕は大丈夫だから 牧野さんの話は 大方予想はつくよ 今夜 部屋に来て』



父と牧野補佐は 仲のいい先輩後輩の仲だった

若い頃は よく我が家にも遊びに来ていたから

私や兄の小さい頃も知っている

私が入省したときは なにかと気に掛けてくれた人だった




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