北風と太陽と、その他諸々
その頃、私は既に家の前に着いていた。
しかし、家には入っていない。
家の前に見慣れない人がいる。
少し白髪混じりの髪はしっかりとセットされ、シワ一つない高そうなスーツを着ている。
背が高くて、かっこいい人だった。
そのおじさんが、ひたすら家の前をウロウロして、家の方を眺めている。
そして、歩いてきたユエと目が合った。
かなり不信そうに見ていたと思う。
それでもそのおじさんは、何故だか嬉しそうにニコニコしながら近づいてきた。
「もしかして、桜井さん?」
「え?あっ、はい。」
思わず答えてしまった。
おじさんがにっこり笑う。それは、やけに親近感の湧く笑顔だった。
「良かった!あっ、私は怪しい者じゃないよ。って言うと余計怪しいよねー。」
ビシッとした身なりとは裏腹に、ずいぶん砕けた喋り方だった。
「は、はぁ…。」
「僕はこういう者です。」
胸ポケットから名刺を取り出して、目の前に差し出されたので、両手で受け取る。
名刺には、
株式会社サエキ 代表取締役
佐伯 克明
と書かれていた。
「佐伯…さん?」
「佐伯友紀乃の父です。」
まだニコニコしながら、佐伯さんはそう言った。
「友紀ちゃんのお父さん⁉」
びっくりして叫ぶ。
「あの…どうして、お父さんがこちらに?」
「ちょっと、和泉理央くんの事でね。」
もしかして、彼氏の調査をしに来たのかな…?
「理央なら、部活がありますから、遅くなりますよ。」
「あ。本人には会わなくて良いんだ。今日は君に会いたかったんだよ。
あ。お兄さんも一緒にと思ったんだけど、遅くなるのかな?」
私に?
良くわからないまま、とりあえず質問に答える。
「はい。遅くなると思います。」
「じゃあ、お兄さんはまた次の時間に。ちょっと時間取らせてもらってもいいかな?」
やっぱり社長の娘ともなると、彼氏の身辺調査とかされちゃうのか。
妙に納得して、断る気にもなれず、承諾をした。
「向こうにカフェがあったよね。そこに行こうか。」
オープンテラスの席に座ると、佐伯さんは、甘そうな、クリームの乗ったキャラメルのコーヒーを二つ頼んだ。
「甘いもの大好きなんだよね〜。同じのにしちゃったけど良かったかな?」
「あ。はい。私も大好きです。」
てっきり、ブラックのブレンドコーヒーあたりを飲むと思っていたので、拍子抜けして、つい笑ってしまった。
それはすぐに運ばれてきた。
佐伯さんは、まずスプーンでクリームをすくって口にいれる。
クリームを食べるおじさんて面白いなと思う。
「理央もこれ好きですよ。」
そう言うと、佐伯さんは目を丸くするした後、嬉しそうに笑った。
「そうなのか。甘いものは嫌いなのかと思ってたよ。」
その後、理央の好きな食べ物や、嫌いな物、子どもの頃はどんな子で、どんな遊びをしてたのかとか、得意な教科、苦手なこと、とにかく色々聞いて来た。
私は、それに一つ一つ丁寧に答えた。
「さすがユエちゃんは理央のこと何でも知ってるね。」
佐伯さんは満足そうに笑う。
理央の事なら考えなくてもスルスルと出てくる。
佐伯さんが理央の事を気に入ってくれるなら、協力してあげなくちゃいけない。
そう思って話していたが、ふと友紀乃の事を思う。
これから何年も一緒にいれば、友紀乃は私よりもたくさんの理央を知るのだ。
季節の変わり目になると必ず体調を崩したり、不安な事があると自分の耳を触ったりする癖も、好物の物、ハンバーグやオムライスは必ず1番最後に食べる事も。しかもすごく嬉しそうに。
目が悪くて、コンタクトを外してメガネをかけたとき手の甲で押し上げる仕草。
髪が癖っ毛で、雨の日はセットが大変なことや、細くて長い、とても綺麗な指をしてること。その指がとても暖かいこと。
そういう理央の全てを、私の知らない事も、彼女だけが知っていくと思うと、初めて悔しいと思った。
あぁ、このずっと重くのしかかるような感情は、悔しいということだったのかも。
「ユエちゃん?大丈夫?」
急に黙って難しい顔をしてしまった私の顔を、佐伯さんが心配そうに覗き混んだ。
その声にハッとする。
ダメだダメだ。私はちゃんと協力してあげないと。
「あ。ごめんなさい。大丈夫です。
とにかく、理央は悪いやつじゃないですから、心配しないでください。」
「そっか。」
佐伯さんが妙な笑顔を見せた。
笑っているのに、とても悲しそうなのだ。
「ユエちゃんは、本当に理央を好きでいてくれているんだね。」
佐伯さんは、ボソッと呟くように言った。
「えっ?」
どういうことだろう?
その言い回しがひっかかる。
もしかしたら、佐伯さんは、私が理央に近すぎるから、離れて欲しいと言いに来たのか。娘の為に。
今更、理央のことをペラペラと喋ってしまった事を後悔する。
詳しく話したら、それだけ私が理央を好きみたいじゃない。
「あ、あの。
誤解を解こうと口を開けた瞬間だった。
「何してるんですか、こんなところで。」
真後ろで声がした。
素早く振り向くと、そこには理央が立っていた。
眉間にシワを寄せ、細い目をさらに細くして佐伯さんを見ている。
「り、お?」
「どういうつもりですか?ユエに取り入ったって、僕の気持ちは変わらないですよ。」
低い声の、いつもと違う口調。
「そういうつもりではないよ。」
佐伯さんが悲しそうなまま答える。
「ユエ、帰るぞ。」
理央が無理矢理に腕を引っ張った。
「えっ。あっ、ちょっと。」
引きづられるように立ち上がる。
「ユエちゃんごめんね、貴重な時間をありがとう。」
佐伯さんがそう言ったので、ひとつ頭を下げて、「ごちそうさまでした。」とお礼を言う。
そして、まだグイグイと引っ張る理央に連れていかれて店を出た。
理央はしばらく腕を掴んでいた。怒っているのか、その力は強い。
何を言う訳でもなく、ただズンズンと歩く理央に訳が分からず、もうすぐ家に着くという辺りでそれを振り払った。
「痛いよ。離してっ。」
理央が振り返る。怒っているのが分かった。
「なんで、知らない奴について行ったんだ。」
「知らない人じゃないわよ。友紀ちゃんのお父さんじゃない。」
「会ったことがあったのか?」
「ないわ。」
「じゃあ、本物かどうかも分からないじゃないか。」
「でも、名刺をもらったわ。」
「名刺なんて、いくらでも作れる。どうしてお前はそう警戒心がないんだ。」
一際語尾を強めて理央が言った。
思わずムッとする。
「なんでそんなに怒ってるのよ!
せっかく理央が友紀ちゃんのパパに気に入ってもらえるように話したのに!」
「なんだよそれ!なんで、お前がそんなことすんだよ!関係ないだろっ!」
理央が叫ぶ。
いつも冷静な理央にそんな大声を出されたのは初めてだった。でも、そんなことよりも、関係ないと言われた事の方がずっと悲しかった。
また涙が出てくる。
泣くことしかできない自分が悔しい。
その通りだ。
理央と友紀乃の事は、私には何にも関係ない。
「そうね、関係ないわ。」
小さく小さく呟く。
後から後から出てくる涙を押さえながら、とぼとぼと家へ向かう。
「ユエ。」
理央は咄嗟に私の手首を捕まえた。
その声にはもう怒りは含まれていなかったが、ため息が混じっていた。
「ごめんなさい。」
涙声でそう言って、また手を振り払った。