ノータイトルストーリー

Case:吉岡_phase01






私は、今日も勤務時間も終わり、





次々と席を後にするもの達を課長という





席に深く座り、椅子に背をもたれかけて、





その光景を遠目で眺める。





真っ直に家に帰る者。





酒を飲みに行き管撒く者。





いそいそと席を後にしわざわざ、






パチンコ屋に出向き、






ギャンブルに興(狂)じる者。






悩みを抱え街をさまよう者…様々だ。






帰りを待って者がいるという『幸福』。






うさを晴らす『手段』を持っていること。






狂えることの『無責任』さ。







『さまよう』事を除き、






どれもが羨ましく…





妬ましい。






また、『幸福』『手段』『無責任』





これらを彼らがいかに大切かを理解してはいまい。






そんな『甘さ』が気に喰わないと






感じてしまうのは、私自身に問題があるのだろう。






私には家族はいない…






いなくなったと云う方が正しいのだろう。







故に、私を待つ者などいない。







元来、酒を受け付けない体質と云うこともあり、







悪酔いし気分が悪くなるのが目に見えている為、酒は飲まない。







また、そんな事を知ってか知らずか誘われる事もない。







「まぁ誘われたところで群れて酒を飲むつもりも更々ないがね…」







第一、ギャンブルなんぞは以ての他だ。






金を払ってまで、やかましい音と光聞きになんぞ






行く気すら起きない。






もちろん、興じる気にもならん。






一人、就業時間後も職場に残り、






気持ちを落ち着かせ、明日以降の仕事の算段を練る。







正確には、そんなフリを『仕事』を言い訳にして…







机を前にして座っている。







本当は、変わりたいと願う自分と






頑なにそれを受け入れられない自分と






対話をしているのだろう。






しかし、やはり『孤独』であることには変わりはない。






結局、私には何もないのだ『仕事』以外は…







今の『孤独』に対して、あの頃の私はこう答えるだろう。







「私は『家族』の為と身を粉にして働いた…






しかし、その思いは届かなかった。」のだと…






しかし、それは自分自身へのまやかしだったり、






後ろめたさ故の『家族』への言い訳や建前だったの






『かも』知れないとようやく気が付いた。







『かも』ではなく、そう『だった』と今の私は、断言出来る。







私は私の欲の為に働いていたのだ。







『仕事中毒者』所謂、『ワークホリック』というやつだったのだ。







あの頃は、仕事をしている事が楽しくて愉しくて仕方がなかった。








今、振り返り本音を言うなれば『家族』など、






どうでも良かったのだ。







『会社』という組織の『歯車』として






キリキリと回転しているだけで、満足だった。






今、現在はというと『孤独』を押し殺す為に






働き『過去』を悔やまない為とは言い切り。






未だに『歯車』として『会社』という組織で






仕事を『こなしている』生きるために…






生ける屍のはずの自分の『甘さ』『生』への執着心。







それに対して、苛立ち、悩み、無様にもがく日々の繰り返しだ…






かと言って、仕事に妥協はしたくはないし、






『野望』もある。






それが唯一の救いなのかも知れない。







近頃、会社で私の事を陰で『ヘビ』などという






あだ名で読んでいる輩がいるのを私は知っている。






粘着質でしつこく、執念深いからと聞くが、






『信念』深いと言ってもらいたいものだ。






確かにネチネチと相手の粗を探すのは面白い。






しかし、虐めたい訳でもって辱めたい訳でもない。






奴らにこんな事を言ったところで、






理解してもらえるとも思わんし、






してもらわんでも結構だ。






都合が悪くなると尻尾を切り落とし






逃げ出す『トカゲ』なるくらいなら






毒を持った『ヘビ』で充分だ。






しかしながら、私自身『ヘビ』と称される事を






むしろ光栄とすら感じている。






周りから私を見る眼、見た目さえも的確であると







同時に私しか知り得ない、性格的な面からしても






上手く捉え表現していることに、非常に感心する。






あだ名を付けた者には、金一封をくれてやっても






構わないほどにだ。






そもそも蛇とは、爬虫網有鱗目ヘビ亜目に






分類される爬虫類の総称でトカゲの四肢が






退化したものとされている。






毒を持つもの、持たぬものと様々だが、






私はきっと前者に該当するのだろう。






また、毒にも大きく分けて、2種類あり、






血管に注入される事で、蛋白質を分解し、






体のあちこちで皮下出血を引き起こし






死に至らしめる『出血毒』と






『神経毒』文字通り中枢神経を冒し、






麻痺させ捕食する。






また、その両方を構成する強毒種も存在する。






かく言う私は言うまでもなくそれに当たるだろう。






人々にとっては、恐怖の対象となるが






故にユダヤ教やキリスト教、イスラム教に置いて






悪魔の化身であったり、悪魔そのものとして描かれている。






しかし、また逆に毒による死と






脱皮による再生を併せ持つ事から、






古来より『ヘビ』信仰と云うものも






世界各地で存在し神の使いであったり神として






崇めらてもいる。






日本で云うなれば、『ヤマタノオロチ』や






西洋においては、尾をくわえたえた『ウロボロス』






終わりのない、永遠を意味していたり、






豊穣の神であったり、生命力や再生の象徴と






されたりと世界各地で描かれているのもまた事実である。






即ち、『死と生』は背中合わせであり






『毒と薬』も、また然りであるのだ、






『会社』という組織の中で






私をどちらで捉えるかは、






自由であるが、






私にとってはどちらでも構わんのである。






講釈を垂れるのは、これ位にして…






私はなんと言われようが、






今更、自分自身のスタイルを変える気なんぞサラサラない。






いつの日にか『会社』という組織に牙を剥くであろう。






その先に在るものが私自身が






『悪魔』となりて『死』をもたらすのか、






『アスクレピオスの杖』となりて『再生』を





もたらすかは分からん…





いずれにせよ、『ヘビ』らしく





丸呑みにしてやろう。






今の私には、自分の撒いた…





いや…撒いてしまった種から生まれたものを





刈り取るには、そんな事しか出来無いのだから…







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