ノータイトルストーリー
第6章『這いよる影』
なんだか、吉岡の意外な一面を目の当たりにし少しウキウキしながら、会社を後にする。

佐々木も昨日はこんな気分で会社を後にしたのだろうか?

そう考えるとふと佐々木の事が気に掛かり始めた。

そういえばあいつ何があったんだろうか?

まぁ、後で話すと言っていたからこちらから電話するのも無粋だなと思い、一度はポケットの中で掴んだ携帯電話を手放した。

そう言えば、今日は次男の基が久々に帰って来ると言っていたのを思い出した。

何だか出張のついでとか言っていた気がした。

「特に迎えはいらないからね」なんて言っていたが、康恵の事だ、今日の晩ご飯は基の大好物のカレーライスに違いない(笑)

福神漬けは買ったのだろうか?また今日も急にメールが着て買って来てなんてないだろうか不安だ…

などと思いながら車に乗り込み、相変わらずの音を立て車を発進させた。

今日も無事に1日が終わりそうなそんな予感がしていた。

明日は土曜日で休みだから、妻と2人でたまには出掛けてみるかなどと考えながら車を家へと走らせた。


小学校で担任の先生に突然「アレの妹かぁ?」と聞かれた、もちろん『アレ』とは基兄ぃを指しているのはすぐに分かった。

何やら聞いてみれば数々の悪戯を山下くんとやらかしていたようだ。

私は、当時は無口な方で、人見知りが激しく、なかなか友達が作れずにいた。

『仲間に入れて』とか『一緒に遊ぼう』の簡単な一言がなかなか言えなかった。

そんなある日、クラスの中でも活発な女の子『春海ちゃん』に出会う。

春海ちゃんは事ある毎に何かと私を巻き込んでくれた。

なんだか、それがとても嬉しかった。

性格は正義感が強く一度決めた事は頑として譲らない。

時々、本当は『春海くん』なんじゃないかと思うこともあった(笑)

簡単に言えば、基兄ぃの女の子バージョンみたいな感じかな?

別れは突然訪れた。

春海ちゃんがお父さんの仕事の都合で転校する事になってしまったからだ。

子供はいつも大人の都合とやらに付き合わされ、振り回される。

宿命と言えば宿命…

だけど、やっぱり心の中では、納得は出来ないのだ。

基兄ぃが大人は嫌いだと言う気持ちが少し分かった気がした。

きっと春海ちゃんも私と同じように感じている筈だ。

だからだろうか、同じような境遇を感じて私に対して好意的に接してくれたのは。

そのあとも、年賀状やら手紙のやり取りをして交友を深めて行った。

しかし、ある日を境にプッツリと連絡が途絶えたのだ。

そして、ある日春海ちゃんのお母さんから衝撃的な事実を知らされた。

「春海は亡くなりました…」と、私は悪い冗談かと思い受け入れる事が出来なかった…

つい、先週まで手紙をやり取りしていたのに…

聞けば、交通事故に巻き込まれてしまった。との事でした。

運転していた男は未成年で無免許な上に薬物か何かを服用した状態で、運転していたとも聞きました。

やりきれない気持ちと許せない気持ちで一杯になりました。

そんな事もあって私は『晴彦』という人間を憎み、軽蔑し、拒絶するに至ったのだと思います。

「許せない…そんな人間がのうのうと生きている」という真実が…

日に日に私の中で黒い憎悪が育っていく。

自分自身、恐ろしくも感じる位に…

何故、ハムラビ法典の『復讐法』が廃止されたのか未だに理解出来なくなっていた。

『目には目を。歯には歯を…』遺族はそれでも報われない。

事故を起こした男はきっと『少年法』とやらに守られて、『少年A』としてやり過ごし、未だに何食わぬ顔で生きているのだろう。

『アイツ』のように悔い改めることもなく…

そう考えると私の中の『怪物』はムシャムシャと憎悪を食べ大きくなる。

それは今も変わらないのだ…

出来ることなら、見つけ出しこの手で最高の苦痛を与え、簡単には死なせることもしないだろう。

しかし、身内の『晴彦』を目の当たりにすると、竦み上がってしまう。

悔しいけど、そんな私が復讐なんて出来る訳もない…

「なら私なりのやり方で…」

私はそんな気持ちも有り、新聞社に就職をした。

確かに井上くんの言うとおり、さもない地方紙の中小企業ではある。

でも、もしかしたら情報が入ってくるかも知れないと言う淡い期待もあった。

しかし、情報を掴んだらどうするとまでは考えていなかった…

ただ、大切な友人を奪った『少年A』という不特定な名前ではなく、実名を白日の下に晒す事で復讐を成し遂げたかった…

『復讐心』を『ジャーナリズム』あるいは『正義感』に置き換える事で自分自身を正当化しながら日々を過ごしている…


会社に入って即青森に転勤になってから、もう二年半が経っていた。

やはり、時間が過ぎるのは早い。

きっと誰かが…いや、悪戯好きな神様がいて、無責任にも笛を吹いているのだろう。

かつての僕らのように悪戯して時間を狂わせているのかも知れない。

早い、早いとはいうものの振り返るからこそ、過ぎてしまったからこそ、そう感じるのだろう。

思い返せば、転勤した日の夜、いつもより夜が静かに、闇が深く感じられた。

このまま、夜が明けないのでは?と小学生の頃に感じていたような、そんな不安な気持ちになった。

実家から送った、ダンボールに囲まれ、ソファーベットにもたれ荷物を解く… 箱からは、荷物ではなく『思い出』が出てきた…

いつも、壁に貼ってあったポスター、何気なく机の片隅においてあったペン立て、山下や坂田と撮った写真達…どれも色鮮やかに見えた。

急に孤独になり、まだ繋がっていないテレビを付け、白と黒の砂嵐を眺めていると、涙が頬を伝った。

今までの生活の中にあって、当たり前のものが急になくなった時、当たり前のものが いかに、大切かを思い知らされた。

それが、下らないバラエティー番組を映し出すTVであったり、暇になれば、連める友人…悪友と言った方が適切だろう。

山下や坂田、大学時代にバイト先で知り合った、石田…皆は元気にしていのだろうか?

なんて事を鬱々と考え、悶える日々を過ごしていた。

そんなある日、本社のある東京に会議で訪れた。
金曜日の朝からという事もあり、前日には東京駅に着いた。

相変わらず、人が多い…人に酔い、目眩がする。

僕はやっぱり田舎向きなのだろうか…

電車を乗り継ぎ、目的の駅に付くとフラフラっとして、改札を抜けたところで、小走りしている女性とぶつかった。

2人して転び、女性は散らばったバックの中身をせかせかと拾っている。

立ち上がり「大丈夫ですか?」と手を差し伸べると、女性は顔を見るなり、サッと背けて走り去って行った。

まるで凶悪犯を見たかのような反応だった。

ひどいなぁ…せっかく気使ったのに、やっぱり東京は冷たい街なんだなぁ…と思うと『はぁ』と溜め息が出た。

駅前のビジネスホテルにチェックインし、久々に坂田と飲みに行く約束をしていたので、ホテルを後にした。

フラフラと歩いていると、何やら自動販売機と格闘しているオジサンいやそんなに年は変わらなそうなお兄さんに出逢う。

聞けば、たばこが買いたいようだった。

丁度、自分のたばこを買うついでにタスポを貸してあげた。

きっと、いつも吸う人ではないと察しが付いたので、ついでに余っているライターをあげた。

僕は酒を飲むときには必ずと言って良いほど、ライターを2個持つ習慣があった。

えっ何故かって?

それは物を無くすのが特技だからです

ホイッと投げると、見事に受け取り、お兄さんはニコっと笑って「ありがとな」と言った。

何故だか、それが少し嬉しかった。

その場を後にして、足取り軽く坂田との待ち合わせ場所に向かった。


今日は久々に基が帰ってくる!

だから、今日の献立は好物のカレーに決めた。

私は子供の育て方でいつも後悔する事が多い。

基の場合小さな頃、お正月に祖母家の裏にある、お稲荷様を祀った小さな社でお賽銭泥棒があった。

現場で基が捕まり、こってり絞られていた。

祖母は私に「この子何を言っても一言も話さないし、謝りさえしないのよ!」

「一体、どんな教育をしているの?」などと捕まえた、祖母は一方的に責め立てる。

私はそれに対してなんの疑問もなく、「ごめんなさい、今後このような事はないようにしっかりとさせますから…」

すると基は「母さんが謝る事なんて何もない…」とだけ呟き、ブスッとした表情をしている。

それを聞いた祖母は「まぁなんて事を!」と更にまくし立てた。

私は困ってしまい、基の頭をグイッと下げさせ、「すみません。すみません…」とひたすら謝った。

家に連れて帰り「なんでそんな事したの!?」と叱りつけ「パシッ」と基の頬を叩く。

基は「キッ」と睨みつけ、何かを呟き、部屋に籠もってしまった。

私は、悲しい気持ちと情けないで一杯になった、自分の息子がまさかそんな事をするなんて…と。

それを告げると主人も激怒し、基の事を叱り、手をあげた。

基はそれでも謝るどころか「大人は嫌いだ!みんな汚いよ!」と大声で涙を流し喚き、窓ガラスを叩き割った。

主人は更に激怒し、手をあげた。

基はそれ以外何も口には出さなかった。

しかし、真実は違っていた事がすぐに明らかになった。

近所のおじさんが話を聞き、「盗んだのは基君じゃない。従兄弟の健君だ。」と教えてくれたのだ。

健君は基と同い年で、基とは正反対のタイプ。

俗に言う、優等生で祖母からも大層、可愛がられていた。

おじさんは、こうも続けた「おかしいなぁ…多分、基君は犯人を知っていた筈だよ?少なくとも止めようとしていたようだったからね。」と。

私はなんてバカな事をしたのだと後悔した、もうこれ以上ないくらいに自分を責めた。

多分、主人も同じ筈だ。

あの時、基の「母さんが謝る事なんて何もない…」と言う優しい言葉が胸に突き刺さって痛い、あまりに痛くて私は涙した。

私は改めて基と向き合う事を決心した。

許して欲しいなんて、恥ずかしくて考える事すら嫌だったが、許して欲しいと望んだのだろう。

すると基は「嘘を付くのは大人のする事だ。だけど、本当の事は言いたくなかった。ただ、それだけ…」

それを聞いて、基は基なりに精一杯考えたがよく分かった。

「嘘でも本当でもない『沈黙』を選んだのだと…」

例え、自分が疑われようとも、その自分の決めた筋を突き通したのだった。

「基…ごめんね…」と彼を抱き締めた。

照れくさそうに「恥ずかしいから止めろよ、別に怒ってもないし、恨んでもないし、母さんは悪くない…」

基は、普段はひねくれているけど、本当は純粋な子だとこの時に初めて思った、もう何年も彼の『親』という役割をしていたのに…

だから、私は基が大好きだ。

彼の純粋さ、不器用なところ、思いやりに満ちたところ…

そんな基が久々に帰ってくるのだ、今日は腕によりをかけてカレーを作るのだ。

玉ねぎを鼻歌混じりに炒める。

「フンフフ~ン♪」

主人が見たら、少しヤキモチを焼くくらいウキウキとしていた。

こんな気分は久しぶりだなぁ。

早く帰ってこないかな…基
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