結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】


「遠野部長にお会いしたとき この方は誠実な人だと感じたし 

坂田さんもそう言っておられた

私たちが 仕事の上でも遠野部長にお世話になっているのは確かですが 

それだけです」


「あの父の息子ならということですか そうですか……」


「まだ納得いかないようだね 若いとはそういうことなんでしょう 

だが それもこれも君にとっては 幸運だったとは思えないだろうか 

チャンスは生かしてこそだと」



昨夜 実咲が同じ事を言ってくれた

明日面接なんだ もう逃げられないと 電話口で笑って言うと 

”どうして逃げたくなるの? 賢吾にとっては有利じゃない 

館長と面識があって 大学の先輩後輩でしょう 

それって幸運なことよ” と

チャンスの女神には前髪しかないの しっかり前髪を捕まえてきてねと 

ギリシャ神話まで持ち出され 大きく背中を押されたような気がした


そうだ せっかく目の前にやって来たチャンスなのに 通り過ぎては前髪を

捕まえることは不可能になる

僕のやるべきことは これから努力すること そしてそれを認めてもらうこと

父が これまで積み重ねてきた実績や 勝ち得た信頼のように…… 



「生意気なことを言いました 申し訳ありませんでした」


「いや 君のその真っ直ぐさは やはりお父さん譲りでしょう 

あれから何度かお会いしたが 私と面識が出来たからといって 

お父さんは何もおっしゃらない もちろん私からもお聞きしていないがね」



僕はまた すみませんでしたと頭を下げると 館長は片手を挙げ無言で

首を縦に振った

そして 何もなかったように面接を終え 次の人を呼んでと係官に指示して 

僕との面接の時間は終わった




数日後 僕の元に採用通知が届き 真っ先に父に報告した

合格したと告げると そうか 良かった と短い返事だったが 父の嬉しそうな

顔が見えて 鼻の奥がツンとした



「仕事で館長にも会ったんだってね」


「増床の最終許可の件でお会いした だが それと賢吾のこととは関係ない」


「わかってる でもお父さんの力が大きいよ」



僕は館長との面接時のやり取りを父に話して聞かせた

じっと聞いていた父は そういうことか……と もらしたあと しばらく黙って

いたが やがて口を開いた



「誠実にと思っていても それがはたして今の世の中に通用するのかと思うときがある 

だが そうやって私の事を評価してくださる方がいるんだな 

積み重ねたものは 無駄ではないのかもしれない」


「無駄なことあるわけないじゃない 

そのお陰で 僕はこうして採用されたんだしね 

残念だけど僕には実績も信用もないから」


「それはこれから作り上げていくものだろう」


「わかってる……」


「おめでとう 良かったな」


「うん……お父さん やっと卒業できるよ 学費とか いろいろ 

あの……今までありがとう」


「あぁ……」



感謝の気持ちを伝えたくて口ごもっていた僕は どうにか気持ちを伝え

父は それに はにかみながらうなずいてくれた 




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