瑛先生とわたし


昨日は市民センター講座のみなさんが 今年の市民展覧会に出品する

作品のための打ち合わせとおっしゃって 数人の方がいらっしゃったけれど 

打ち合わせは15分ほど 

あとは先生の身上調査になって そばで聞きながら先生がお気の毒だったわ

そろそろ再婚はどうです お子さんがかわいそうですよ 

なんて 不躾なことをおっしゃる方もいて 私の方が腹立たしくて

でも 先生は 

”お気遣いありがとうございます まだその気にはなれませんので” と

柔らかい言い方だったけれど きっぱりとおっしゃったの

潔くて 私の胸もスッとしましたもの


奥様をなくされたのが7年前

小さな渉君を残して旅立たれた奥様は さぞ心残りでいらしたことでしょう

先生も奥様のお気持ちをわかっていらっしゃるのね 

ひとり行かれた奥様がお寂しくないように いつも写真をそばにおいて 

奥様を感じていらっしゃる

私には そう思えてならないの


仕事部屋のアンティーク家具の上の写真

その横に 小さなカンガルーが置かれている 

ぬいぐるみの毛足に埃がつかないように 毎日お掃除させていただいている

このカンガルーは 先生のお心そのものだから 大事に大事に心を込めて

綺麗にして差し上げたいと思っている物

毎日お掃除しているから埃なんてそうないけれど これは私の気持ち……

終わったあと 小さく手を合わせて ”今日も渉君は元気ですよ” 

と報告すると 私の気持ちも落ち着くみたい


初めてこちらに伺った日 なんて可愛らしいぬいぐるみかしらと思い 

奥様と渉君みたいですね 

そう 何気なくお聞きしたら



「妻がなくなったとき妊娠していました 男の子だったそうです 

その子の写真はありませんので せめて母親のお腹にと思いまして……」


「大事なお品ですね 心を込めてお掃除させていただきます 

辛いことをお聞きしてしまい……」



私は そう答えるのが精一杯で あとの言葉は涙に消されてしまって

思い出すだけで 今でも涙がでそう

先生のこんな深い思いを知ったなら 再婚は? なんて 迂闊なことは

口にできないはず

きっと みなさんご存じないのね

渉君にも二人目のお子さんのことは知らせていない と瑛先生はおっしゃって

いたくらいですもの






「マーヤちゃん アナタのお名前 先生がつけてくださったそうね 

素敵な名前ね」


”そうなの 私も気に入っているのよ”


「今日は少し冷え込んでくるみたいね 

お夕飯のお献立は 温かいものをこしらえましょう」



林さんは そう言いながら 冷蔵庫からキャベツを取り出した

渉が好きなロールキャベツを作るのね

先生も大好きなんだって



「渉君が教えてくれたの ママが作るロールキャベツには 

ベーコンを小さく四角に切ったのが入っていたって 

ベーコンは忘れちゃいけないわ

マーヤちゃん 渉君がもうすぐ帰ってくるから お玄関で待っててね」



はーい というかわりに 首の鈴をチリンと鳴らし 私は玄関に歩き出した

キッチンから トントンと調子のいい包丁の音が聞こえてくる

あっ また鼻歌を歌ってる 林さんってホント楽しそうにお料理を作るわね


渉の小さい頃の想い出も大切にしてくれる林さんが 

ここにくる人の中で 私は一番好き




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