『無明の果て』
「ご主人とはゆっくり出来ましたか?」


「はい。

ゆっくりと言うより、ようやく夫婦になれたような、確認出来た事がありました。」



「そうですか。
それは良かった。

急に帰国するような、心配事でもあったのかと、思い悩んでいましたよ。


まぁ、私が思い悩んでもしょうがないん事なんですがね。」


私はためらいもなく、岩沢にたずねた。



「会社をお辞めになったのは、何か理由があっての事でしょうけど、私が聞いてはいけないことでしょうか。」


「いや、そんな事はないですよ。

聞いてくれますか。

いい年をして、僕は知らない事が多すぎて、やり残したたくさんの事が、僕を許してはくれないような気がしたんですよ。」



薄オレンジ色のカクテルの向こうで、岩沢はゆっくりと話し始めた。



「妻が亡くなってもうすぐ一年になります。
僕は妻の友人の何人かに、僕の知らない妻の姿を知らされて、ひどく動揺したんです。


控え目で、目立つタイプではないとばかり思っていたのに、実は行動的でボランティアまでやっていた事も、ひとりで黙ってしていたような、そんな女性だったんです。


僕が仕事でいない間に、彼女は彼女の世界をちゃんと創りあげていた。」


挫折や、悩みや、哀しみから産み出されるものは、真の力を持っているんだと、私にはそう聞こえた。



「妻の知人や友人に会って、最後に行き着いた場所が教会でした。

話しましたね。

妻が病に倒れてから、クリスチャンになったと。

葬儀以来、お会いしていない無礼をお詫び方々訪ねたんです。


神父様は、何て言ったと思いますか。」


岩沢は深いため息のような微笑みで


「やっといらっしゃいましたね。

いつか必ずここに来るはずだからと、麗子さんから手紙をお預かりしていましたよ。」



「えっ、麗子…?」


「そうなんです。

僕の妻も麗子という名前でした。

不思議な縁があるものです。」


さっき内ポケットにしまったのはその手紙だと、岩沢は私の前に差し出した。
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