『無明の果て』
私は美しい便箋をそっと手に取り、半年前に似たようなシーンがあった事を思い出していた。


岩沢と偶然に隣り合わせた飛行機で、私は涼からの長い手紙を読み、背中を丸めてうずくまっていた。


あの時と違うのは、この手紙が私宛てではなく、岩沢宛ての特別な手紙だと言う事と、不安を抱えて読むべきものではないと云う事だ。



別の場所で、別の境遇で生きてきた男が、今、妻と同じ名前の女と向かいあっている。


だけど、岩沢と私が今共にいると云うこの現実は、すぐ先に何が待っているのか解らないという危険で不安な想いなど何もない、改めて確信する、縁とか、運命とか、そういう不思議なもの、きっとそんなものなのである。



『あなたへ』


と云う書き出しが、この手紙がいつか読まれる事を確信していた、妻の実績みたいなものを感じさせていた。






『あなたへ


最後まで、あなたを守ってあげられなくてごめんなさい。


この手紙をもしあなたが読んでいるとしたなら、私はもう天に召された後でしょうから。


まだ私が正直でいられるうちに、痛みや苦しさで平静ではいられなくなる前に、伝えておきたい事がたくさんあるのよ。



手紙だから伝わる事、私の姿が見えないから解ってもらえる事だと信じて、あなたに、私の夫でいてくれたあなたに、しっかりお別れを言うわね。



あなたと暮らした長い月日の中で、はじめからの豊かな幸福や、身勝手な独占欲を求めてしまって、きっとあなたに嫌な思いをさせてしまった事もあったわね。


私が、私だけがと云う思い上がりが、若いあの頃にはとても強くて、あなたばかりを見つめ過ぎていたのかもしれないわ。


だって、あなたはとても素敵だったから。



まるで魔法にでもかかったように、あなたの姿を追いかけていたような気がするのよ。


ねぇあなた。


例えば、体の自由を奪われて長生きすることと、全ての満足を手に入れて明日死ぬのと、どちらかを選ばなくちゃいけないとしたら、あなたは直ぐに答えを出せるかしら。



もうすぐ体の自由を奪われてしまう私でさえ、その答えは解らないわ。

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