『無明の果て』
岩沢がいると云うその場所は、町外れの静かな高台にある小さな教会だった。



私が読み終えた手紙を、大事そうに内ポケットにしまいながら、テーブルに身体を預け岩沢は話し始めた。




「妻はここで、私の知らない姿を見せていたんですよ。

花壇の手入れをしたり、教会の掃除をしたり、讃美歌を歌ったり、立ち寄る方々の話し相手にもなっていたと聞きました。


きっと僕にもそこでの話をしていたはずなのに、仕事ばかりしていた私は、あまり覚えてはいないんです。


妻は呆れていたのでしょうね。

そこでの出来事は、だんだん私達の会話の中に出る事はなくなりました。」




「岩沢さんは、神父様になられるつもりで、そこにいらっしゃるんですか?」



「どうなんでしょうか。

私に置いて行った妻の祈りは、まだ私には難し過ぎて、解らない事ばかりなんです。


そこで少しずつ考えてみたいと思っているんですよ。


いえ、そういう心を取り戻したいと思ったんです。


私にも、何やらそんな想いが潜んでいた事に気づいてしまったものですから。



決めた事は今やらないと、時間が足りない年齢になって来ましたからね。



残された時間は、待っていてはくれないですから。



私は今までやってきた仕事に誇りを持っているけれど、自分のためだけにする競争はもう卒業して、あなたの様な世代の方に新しい道を拡げて頂く方が適切だと思ったんですよ。


有難い事に、神父様からのお誘いも頂いたりしたものですから。」



「奥様が元気でいらっしゃったら、今の岩沢さんの考えを、いったいどういう言葉でお迎えになったでしょうね。」



「そこが、生きて行く事の理不尽な所ですね。

もし妻が生きていたら、まだまだ競争しながら走る事を止めていない自分の姿が、しっかり見えているんだから、困ったものです。」



いいえ、私には見えている。



たとえ病魔などに冒されず、岩沢の隣で微笑んでいる妻がずっと変わらず居たとしても、きっと今の、目の前にいる岩沢と、同じ姿をしていただろう信念のようなものが。

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