『無明の果て』
アメリカでの暮らしも、ようやく流れのようなものをつかみかけ、たくさんの資料に囲まれてうなだれる事も、ボスに頭の真上で怒鳴られる事も、少しずつ減ってきたように思われる。



余裕というには程遠い力不足は、人の何倍も繰り返し、繰り返し
叩き込むしかないのだけれど、仕事から解放された後の語学スクールは、唯一楽しみな場所になっていた。



そしていつからか、


「時間を作りましょう」

と言った彼の言葉を、待っている自分に気づき始めていた。


そうなんだ。


いけない事だったのかもしれないんだ。


その時の一行が、自分の夢を語れなかった思いを、遠いアメリカでは知るすべもなく、それを受け止める盾にもなれず、私が何のために妻という立場にいるのかと、心を痛める事になることを、その時は何も知らずにいた事を…。



「麗ちゃん、元気ですか?
そちらの暮らしには慣れたでしょうか。

大阪での仕事はとても忙しく、ほとんど外食続きです。


麗ちゃんがどんな所に住み、どんな暮らしをしているのか、たまに送られて来る写真でなんとなく解かるけど、思ったより楽しそうで安心しています。


だけど、くれぐれも、無茶な事はしないでください。



こっちは心配いりません。
それから来週は、一週間本社に戻ります。」



こんなメールを、もう何度往復させているだろう。


この時間なら、電話をしてもつながるかもしれない。

そう思って、携帯に手を伸ばした時



「こんばんは。
鈴木さん」



慌てて携帯をしまった。



「こんばんは。
今日もお仕事でこちらへ?」


「えぇ、そうなんです。
鈴木さんがお帰りになる頃、僕も終わると思いますが、少し付き合ってくれませんか。」


ときめいているわけじゃない。
だけど、話をしたかったんだ。


慣れない異国での呼び名
”Reiko“ ではなく

私の新しい苗字
”鈴木さん“ と呼んでくれる人と。


「私も岩沢さんに、お聞きしたいことがあったんですが、ここにいればよろしいでしょうか?」
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