『桜が咲くにはまだ早い三月』
第一章  『アイツ』



春。

三月。


桜が咲くにはまだ寒い三月。



エアコンの温度を少し上げて、椅子の背にかけてあったカーディガンに袖を通しながら、読みかけの雑誌を覗きこんでいたら、FMを消したばかりの静かな部屋の中で、けたたましく携帯が鳴った。



着信音にお気に入りの曲を入れる趣味はない。

ダウンロードなんかしたこともない。



街中で予告もなく聞こえて来る着信のメロディで、その人の印象を決めつけてしまう私の癖を私が誰にも話した事がないのは、それがちょっと意地悪くその人のセンスや暮らしぶりを瞬時に思い描いている気がするからだ。



あ、この人はナルシストだわ。
なんて。



勝手だけど、そんな風に他人から決めつけられるのは我慢が出来ないから、私の着信音は携帯を買った時の、つまらないあの呼び出し音のままなのだ。




「へぇ~こういう曲聞く人なのね。」


なんて、言われるのは耐えられない。



私の変なプライドが、それを許しはしないのだ。




誰からだろうと、テーブルに置かれた携帯を見ると、電話の相手は登録されていない知らない番号だ。


いつもなら知らない番号なんかには出ないけど、なんとなくその時だけは、電話の向こうで起きているかもしれない何かが、珍しく私に携帯を取らせた。


ヒマだったし。



「…もしもし…」


「もしもし。
由香ちゃん?」



誰だっけ?

聞いた事のある声は、優しげな男の何人かを思い出させたけど、だけどきっとこの声は、その中の誰にも当てはまってはいないだろう。



「どなたですか?」


愛想のない言い方で私は聞いた。



「あ、ごめん。
おれ、史彦

安西史彦」



あぁ…
そうだ、この声。
中学の同級生だった安西史彦だ。


もしかしたら高校だったかもしれないけど、そんな事はどうでもいいくらいの、ちょっとした知り合い程度の男。



「安西くん?
久しぶり。
どうしたの?

私の携帯よくわかったね。」
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