『桜が咲くにはまだ早い三月』
第八章  『約束』  二節



一日がこんなに早く過ぎてしまうのなら、

私が持っている何かと引き換えにその時間を取り戻して、

浩太が美しいと思う景色や、

行ってみたいと憧れている知らない国や、

これからふたりで歩く未来をもっと探してみたいと思った。


やっと素直な女になりかけていたのに、

たったひと月じゃ足りなすぎるよ。


ここから新幹線で一時間ほどのその街には、

私達を引き離す "距離" と云う手強い敵や、

"不安" と云う手に負えない気持ちが、

きっといつだって付きまとう。


あっという間に恋して、あっという間に離れされて、

大きなため息と共に私は少し肩を落として、

泣き出しそうな自分の心に問いかける。


“浩太、私と同じベルだったのは

ただの偶然じゃないよね。

私達は初めから一緒のベルで繋がれていたんだよね。” と。



「すぐに会えるよ。

全然遠くなんかない。

明日にだって会いに来れる。

由香は心配し過ぎだよ。

向こうに行く前から余計なこと考えちゃダメだよ。

分かった?

約束だよ。」


そう言って、浩太は微笑んでいたけど…



サクラ

こんな気持ちは初めてなんだ。

ホントならサクラだけに、私の想いを打ち明けるのに。

サクラ…




そして次の日、お昼過ぎの新幹線に乗ると云う浩太に合わせて

私は午後から休みを取った。

その朝、引っ越しの荷物と格闘しているだろう浩太に電話をかけるため

私は携帯を握った。


同じベルの音。

私と同じ、つまらないベルの呼び出し音。

寂しいよって、浩太を呼んでいる。


「もしもし」


「おはよう由香ちゃん。

ご機嫌はいかがですか?」


浩太の声を聞いただけで、知らないうちに涙がこぼれた。


うそ…

私 泣いてる…


「由香?

どうした?」


涙が止まらない。


「うん、何でもないよ。

荷物は片付いた?

わたし仕事休めば良かったね。」


「由香、すごい鼻声なんだけど。

泣かないで。

大丈夫だって。

すぐに帰って来るから心配はいらないよ。

由香、駅で待ってるから遅れずに来てね。

時間覚えてる?

えっと…

13時16分だったっけ?」


「違うよ。17分。」


「由香、この間さ、サクラに言ったって言葉覚えてる?

もう一度言ってくれないかな。

それ荷物に入れて持って行くから。」



「えっ…あぁ…

何か朝から恥ずかしいなぁ。

今言うの?

言わなきゃダメ?」


「うんダメ。」


浩太の真剣な声に


「じゃぁ・・・言うよ。

あのね、浩太と一緒に生きて行くって。

ふたりで生きて行くって決めたから、覚悟しといて。」


浩太は電話の向こうで笑いながら


「この間とちょっとニュアンスが違うような気がするけど、

まぁいいか。

由香、ありがとう。

力が湧いて来たよ。」


じゃあ後で

そう言って浩太は電話を切った。

その声がいつまでも耳の奥でこだまのように響き続けた。





そして

駅に向かう私の車は、ひどい渋滞に巻き込まれた。


いつもなら20分もかからない道のりが、

すでに倍の時間を過ぎている。

このままじゃ間に合わないかもしれない。


心臓が張り裂けそうになりながら浩太に電話をかけているけれど、

何度かけても出ないのはなぜなの。


浩太・・・


浩太・・・



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