『桜が咲くにはまだ早い三月』
第十一章  『夢』  三節



事故から三日目、私はあの鍵を渡してくれた看護士を呼び止め、

少し話がしたいと申し出た。


ここに運ばれて来た時の浩太を知っている彼女に、

聞いておかなければならない事がたくさんあった。


彼女の胸の名札には

北村隆子

と書いてあった。


「仕事中だとゆっくり話せないから、仕事終わるまで待っててもらえる?

それでいいかしら?

あと二時間くらいあるけど。」


と、優しく私に微笑んだ。


「私も話したいと思っていたの。」と。


それは看護士としてじゃなく、

ここで関わってしまった悲しみを知った者が求めている何かを、

探す手助けをしてくれようとしているんだと

私にはすぐ分かった。


「忙しいのにすみません。

ここに居ますから。」


納得のいく答えや、割り切れる解決の仕方や、

損や得や、解らない事のすべてを彼女に求めているわけじゃない。


だけど、浩太。

何も知らないままここに居るのは、耐えられないんだ。


まだ夢の中の出来事だよと

目覚める時を待っている気がするんだ。



そして昨日も今日も仕事の合間を縫って、

史彦とサクラは浩太を見舞いに来たけれど、

私の顔を見て切なそうに聞いた。


「意識は戻らない?」

「先生は何だって?」


何も・・・

何も・・・


浩太の容態は変わってはいない。





そして


「遅くなってごめんなさい。」

と、白衣を脱いだ彼女が私の肩に手を置いた。


「向こうのラウンジに行かない?」

と、廊下の先を指差しながら歩き出した。


「あ、北村です。

北村隆子。」


「りゅうこさんって云うんですか。

たかこさんとばかり思ってました。」


「どっちでもいいの。」

そう言って笑いながら、窓際のテーブルにバッグを置いた。


そして

「名前、

あなたの名前を聞いてもいいかしら?」

と私を見た。



「あ、すみません。

山口由香です。

今日は急にお願いしちゃってご迷惑じゃなかったですか?」


「ううん、大丈夫よ。

家に帰っても一人だし。

そう、由香ちゃんね。

私に出来る事なら遠慮なく言って。

何から話せば良い?」


聞きたいと望んでいるくせに

彼女の口から聞く真実が、

きっと私を夢から現実へ引き戻すんだろう。



ゴクリと唾を飲み込んだ時、彼女は話し始めた。



「私と夫は二年前に交通事故にあってね、

私だけが生き残ったの。


夫は即死だったから、

私の意識が戻った頃には、夫の葬儀も済んでいたの。


由香ちゃんが一生懸命、彼に声かけてるの見てたら、

あの時の自分と重なっちゃって、ちょっと辛かったわ。」


彼女はさらりと話して、すぐに窓の外を見た。


瞳の隙間が涙でいっぱいになっていた。



悲しすぎた。




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