『桜が咲くにはまだ早い三月』
第十二章  『現実』 五節



事故から六日目


仕事が休みだと云う史彦とサクラが、

今日は一日浩太のそばに居ると言って朝から病室に顔を出した。


史彦は浩太の胸に置かれた手を上から優しく握って、

「よっ」

と言ったまま、しばらくの間浩太の顔を見つめていた。


「分かるか?浩太。」

と自分の顔を近づけて、

そしてちょっと悲しそうな顔をした。


言葉にしなくても通じ合うものが私達にあるのなら、

ここに居るみんなの胸へ浩太の望みを伝えてほしいと、

そう願ってでもいるように見えた。


サクラは、私に出来る事はこんな事しかないと言いながら、

窓際の小さなテーブルの上に、

花瓶に差した桜の花を置いた。


「家の庭から持ってきた。」

と云うその桜は、開き始めたばかりの淡いピンク色をしていた。


浩太が転勤したら、ちょうどそんな季節だから

一緒にお花見に行こうと約束していたけど、


浩太

サクラがここまで持って来てくれたよ。


「サクラ、ありがとう。

綺麗だね。

今日はみんなでお花見しようか。

ね、浩太にも見えるようにこっち向けて。」


そう言った私の言葉に

ただにこやかに微笑んでいた母親は


「そうね。

せっかくみんな居るんだし、

その方が浩太も喜んでくれると思うわ。」

と、カーテンを少しだけ開いた。


サクラは

「由香、私さ

お弁当作って来たんだけど。」


と、大きな袋から良い香りの弁当を私に渡した。

サクラは料理が苦手なはずなのに、

そのお弁当は優しく美しく私達の気持ちを潤した。


そして母親の身体をいたわり

「お母さん、私お料理下手くそですけど食べてみてください。

コンビニばっかりじゃ、倒れちゃうから。

ここじゃまずいでしょうから、ラウンジに行きませんか?

ね、由香

良いよね?」


サクラはそう言って、母親と二人病室を出て行った。


私と浩太と史彦の時間を、サクラは私に作ってくれた。


史彦と私と浩太だけになった病室で、

静かに桜の花びらが揺れていた。


史彦が私に言った。


「浩太がさ、由香ちゃんと携帯の呼び出し音が同じだって言ったんだ。

普通女の子は流行りの音楽とか使うのに、

どうしてベルの音なんだろうって。

知ってた?」


浩太

初めから同じこと思っていたなんて。

私たちはずっと一緒だったんだ。



「うん。

知ってた。」


「由香ちゃん、大丈夫?」


「うん。」


私達はいつか浩太がゆっくりと目を開けて、

少しずつ起き上がって、

そして私を優しく抱きしめてくれると信じていた。


桜のつぼみが少しずつ開いて行くように。


だけどその時、急に

浩太につながれている機材の何かがけたたましい音を立て、

浩太の身体がけいれんを起こし始めた。

史彦はすぐにナースコールを押し、


「早く来てください。」

と何度も叫んだ。


慌てて病室に入って来た看護師に私達は病室の外へ出され、

母親とサクラも慌ててラウンジから戻って来た。


しばらくして病室から主治医が出て来て、

母親だけを呼び何か話をしていた。


心臓が破裂しそうなくらい波打って、

立っていられなくなった。


その時、桜の花の香りがすうっと通り抜けた様な気がした。



嫌な、とても嫌な予感がした。




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