あの夏よりも、遠いところへ
それにしても全然上達しねえな。やっぱり俺は、天才でもなんでもなかったんだ。
うちのアップライトピアノは鍵盤が重たくて、ちゃんと練習しろよと、スミレに理不尽な怒りが込み上がる。
「兄ちゃん、ただいまー」
「おう、おかえり」
「なんかずうっとその曲弾いてるやんな。もうじゅうぶん上手やのにぃ」
「はあ? そんなん言うてるからおまえのレベルは低いままやねんぞ」
「えー? ていうか兄ちゃん、どこでピアノ覚えてきたんかまーだ教えてくれへんのー?」
ひとつ年下の妹は、4年生に上がってから妙に大人びたと思う。
語尾を伸ばす独特のしゃべり方も最近覚えたみたいで、その媚びたような感じが、兄としてはどうしようもなく腹が立って仕方ない。
「別に、どこでもええやん。ちゅうかおまえはほんまに練習しろ。オトンとオカンに高い月謝払ってもらってんねんぞ」
「そんなん言うたって、スミレ才能無いし。もうすでに兄ちゃんのほうが上手いやん」
……それはお前が練習しないからってことに早く気付けよ。
「もうスミレ、ピアノ辞めよかなー。みんながやってるからなんとなく始めたけど、もうええわー」
くるくると毛先をいじりながら口を尖らせる妹は、本当にませたなあと思う。こないだまで鼻ったれの幼稚園児だったはずなのに。
似合わない、校則違反のマニキュアとか、先生に怒られねえの?