鈍感ガールと偽王子
「あ、お蕎麦途中だった!」
唐突に美結はそう言って俺の手をするりとすり抜けると、すっくと立ち上がりキッチンに戻っていった。
数分後、キッチンからは、ふんふふん、なんて鼻歌が聞こえてくる。
全くもってなんの曲なのかは分からなかったが、本人は楽しそうだったので放置。
すぐに、美味そうに湯気の立った蕎麦を持ってきた。
「できたよー」
「美味そう」
「早く食べよ!」
手渡された箸を受け取って、いただきます、と挨拶。
付き合う前から、箸だけは美結も自分専用のものを俺の家に置いていた。
おそろいのマグカップでもなく。
歯ブラシでもなく。
着替えでもなく。
いつも夕飯だけ一緒に食べて、しばらく他愛のないことを喋って。
それだけの関係だったけど、俺にとっては何よりも大切な時間だった。
だから、しばらく美結が家に来なくなったとき。
……あの頃は、正直きつかった。