恋するキミの、愛しい秘めごと
カンちゃんの部屋にあった、大きなトランクが無くなっているのを見た時点で分かってはいたのだけれど。
「はぁー……。まさかの海外逃亡か」
ソファーに座り、背もたれに寄りかかって宙を仰ぐ。
――この部屋は、こんなに広かったんだ。
今更そんなことに気が付いて、思わず笑ってしまった。
カンちゃんの有給休暇が明けた時、きっとオフィスは騒然となるんだろうな……。
てことは、部長あたりもグルか。
どうりで最近よく2人で一緒にいたわけだ。
今考えると、高幡さんの部屋の片付け中に私にバカにされたのが悔しいと、自分の部屋の片付けをし始めたのだって違和感だらけ。
そう考えると、榊原さんの暴露はあくまで切っ掛けにすぎなくて、カンちゃんはもっと前から、こうするつもりでいたのかもしれない。
そうだとしたら、一体いつから……?
私から離れることを、いつから決めていたの?
あぁ、ダメだなー……。
昨日、ちゃんと受け入れるって決めたのに。
いつまでも未練たらしくウダウダと考え込む自分が嫌で、夕食の前にお風呂に入った。
それから簡素な夕食を取り、いつものようにコーヒーを淹れる。
これからはこの暮らしが当たり前になるんだから、早く慣れないと。
少し落ち着いたら、あれから私の事をやたら心配してくれる小夜なんかをこの部屋に呼んでもいいかもしれない。
会社帰りにここで一緒にゴハンでも食べながらお酒を飲んで、もしも酔っぱらってしまったら泊めてあげたらいい。
もしも彼氏が出来たって、「うちはちょっと……」なんてハラハラしなくていいんだし。
そしたらいつの間にかカンちゃんの香りだって、薄れて無くなっていくはず。
「なんだ。いい事いっぱいじゃん」
半ば自棄になりながらそう呟いて、コンロの火を消す。
そしてカップを取ろうと食器棚を開けた瞬間、気付いてしまった。
「――っ」
こんなの、気付くなっていう方が無理でしょう?
こらえていた涙がボロボロと頬を伝い、漏れそうになる嗚咽を飲み込みながら冷たいフローリングにしゃがみ込む。
「やっぱりダメだ……っ」
桜色が私のカップ。
紺碧色がカンちゃんのカップ。
いつもは2つ並べてしまわれているはずの2色のマグカップが、1つだけ――桜色のカップだけがそこに取り残されていた。
指が長いカンちゃんは、取っ手の掴みにくいマグカップが好きじゃないと言っていて……。
だけど私が買って帰ったこのカップだけは気に入って、「ヒヨにしてはいい仕事したね」と、小馬鹿にしてるんだか褒めているんだか分らない事を言いながら、ずっと使い続けてくれていた。
ただ、あれが使いやすかったから。
ただ、気に入っていたから。
それ以上の意味がないのは解っているのに……。
思い切り突き放してくれない優しいカンちゃんを、初めて少し憎いと思ってしまった。