恋するキミの、愛しい秘めごと



時計の針が夜の7時を回った頃、一通り同僚たちの仕事が落ち着いたのを見計らって、私は席を立った。

チラリとカンちゃんの様子を窺うと、まだパソコンに向かって仕事をしている。

このあと同じ場所に向かうとはいえ、どうせ一緒には出られないし、何よりも仕事が立て込んでいることもあって、カンちゃんは後から合流することになっていた。


「すみません、お先に失礼します」

そう挨拶をしてオフィスを出て、榊原さんとの待ち合わせ場所に向かう。


外に出ると、冷たい空気に耳の奥が痛くなって、思わずマフラーに顔を埋めた。

朝、あんなにも人々を大混乱させた雪は、いつの間にか雨に変わっている。


「少し早く着きすぎちゃうかな?」

腕時計に視線を落として、少し考え込む。

早く着きすぎても、張り切っている感じで微妙だし、かと言って遅れて行くのもどうだろう。

一応H・F・Rの先輩にもあたるワケだし、何より私より年上だし。


うーん、と考え込んだところでもう会社は出てしまったし、どこかで時間を潰すほどの時間があるワケでもないから、取りあえず駅に向かって歩き出した。

榊原さんおススメのお店とやらは、六本木駅から少し歩いた所にあるらしく、ここからだと地下鉄一本で行けるから助かる。

“出来る人”っぽい榊原さんの事だから、もしかしたらそれも考慮した上でのお店のチョイスだったのかもしれないけれど。

今朝は水っぽい雪だったから傘もあるし、これなら今から出掛けるのもそう苦にはならずにすみそうだ。


駅に向かう道は、金曜日の夜だけあってたくさんの人が歩いている。

それを縫うようにして歩きながらホームまで下り、地下鉄に乗り込んだ。


あぁ、そうだ。

榊原さんの前で、カンちゃんは“カンちゃん”なのか“宮野さん”なのかを聞き忘れていた。

“会社の先輩と後輩”もしくは“上司と部下”だと思い込んでいる榊原さんに、私達の関係をバラす事はないにせよ、ボロを出さないためにもそこはきちんと確認しておいた方がいい気がして、徐に携帯を取り出す。


『榊原さんの前で、カンちゃんのキャラは“宮野さん”でいいの?』

そう打ち込んでメールを送り、携帯を手に握りしめたまま、車窓をぼんやり眺める。


そういえば、先に着いて榊原さんと何を話そう。

この前の様子からすると、会話の上手い榊原さんは私が気を遣ったり、気まずい思いをしないようにさりげなく会話を提供してくれるとは思うんだけど……。

さすがに、榊原さんに話をさせっ放しにするワケにもいかないしね。


共通の話題となると、会社のことや仕事の事なのだろうけれど、そもそも榊原さんは円満退社だったのだろうか。

あのキャラクターからすると、揉めに揉めての退社というのはなさそうだけれど。

そのあたりは、あまり触れない方がいいのだろうか?

そうすると、残るのは仕事の話になってしまうんだけど、一応ライバル会社だしなー……。


「ご趣味は?」――みたいな?

でもそれって、「話題に困っています」って言っているようなものな気もするし。
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