まばたきの恋
飲み物を買いに行くかと誘ったのは自分なのに、隣に腰掛けた当人は何も口にしなかった。
品揃えが良いと評判の自動販売機に向かって『何もないなあ』と呟いたのを、七菜子は聞き逃さなかった。
これは失礼な、と思いつつも何も言わず、七菜子は缶ジュースに口をつけた。
「それ、おいしい?」
奏多は物欲しそうな目で、七菜子の持つアルミ缶を見つめた。
(こいつーー”隣の芝生は青い”ってやつか)
心の内で悪態をつくと、仕方なしといったところで七菜子は缶を差し出した。
「おいしいよ、飲む?」
奏多は一瞬目を丸くしたが、すぐににやりと口角を上げた。
「飲んでいいの?」
「ーーあ、いや、その、やっぱり駄目!」
ようやく自分が発した事の重大さが分かった七菜子は慌てふためき、身振り手振りが大きくなる。
「だ、だってさあ、なんか弟みたいな言い方だったからつい、わざとじゃないの」
「弟、いるの」
「いや、居ないけど」
項垂れる七菜子の髪をかけた左耳がほんのりと染まっているのを、奏多はひとしきり笑った。
ちらりと見遣ると、片足が浮くほど腹を抱えて笑っている。
ここまで大笑いされたことがあっただろうか。悔しいはずなのに、これまでとはまた違った表情を見られて、七菜子は少しはにかんだ。
しかし。時に”油断大敵”という言葉はよくできたものだと、のちにつくづく思い知らされることになるのだ。
それは些細なひとことからだった。