虐め防止対策法案成立国会
世論操作
与党圧勝のその年、小中高校大学に至るまで、学校内での虐めは、増加の一途を加速していた。首謀者の不明確な事例がその大半を占めるに至った背景には、国会の狂騒を嘲るが如く、巧妙かつ、頭脳的になってきたことも 勝因の一端を担っていた。 虐めの対象は、”弱いもの虐め”などと言うなまやさしい物ではない。 ただ単に気に入らないやつを陥れる策略的なものへと変異をとげていた。 言うなれば、弱いものの世論を追い風に、”出る杭を討つ” 一時代前なら、正義の味方のヒーローものを地で行くような 痛快さを具現化していた。 虐めは悪である。 このテーマによる虐めは 陰湿ではあるが、教師仲間では、この流れの発端が、一部の教育理論に基づくものだったため 一過性の必要悪と目を瞑る状況が蔓延していた。 実をいうと、一部教育研究家たちの箴言によるこの手法が、PTAの強い後押しも手伝って、撲滅への一縷の解決の糸口を 模索し始めていたのだ。  もちろん、この現象は、そのPTAを組織する年代に、虐めによる虐待の経験者が蔓延していることも、要因のひとつでもあった。
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