主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
悶々としていた。

悶々として、自分が主さま以外の男に嫁ぐ想像をどうしてもすることができなかった。

でもこんな何の取り柄もない自分を妻に欲しいと言ってくれた義経の心はとても嬉しかったが…


「私……義経さんのことほとんど何も知らないのに…」


幽玄町で生きていると、世の中の情報があまり入ってこなくなる。

平安町に住んでいた時も晴明の屋敷から出ることはなかったので状況は同じだったかもしれないが…晴明が戦云々の血なまぐさい話を語ることを由としなかったために、息吹は源氏と平家の大きな戦いを知らなかった。


「主さまのことならなんでも知ってる。…声が小さくて…低くて耳がくすぐったくなる声で…手が大きくて…時々目の奥に見える青白い炎が綺麗で…唇もすごく綺麗で…無表情で…ぶっきらぼうで…背が高くて…髪がつやつやで…」


数え上げればきりがない。

時々膝枕を要求してくるので、その時にじっと見上げてくる主さまは、その後必ずと言っていいほど口づけをねだる。

拒絶することは許されず、いつも心臓が破裂してしまうのではないかというほどにどきどきすること――自分だけではなく主さまもそうだと知っている。


「あと…感極まると、よく噛んでくるとことか…。私を齧ると美味しいんだっていつも言ってたな…」


首にあった唇の痕はもう消えてしまった。

こうして主さまとの思い出をひとり懐かしく振り返る日々が訪れるのかと思うと、瞳から大粒の涙がほろりと零れ落ちた。


「私からちゃんと話さなくちゃ。主さまは悪くない…。私がちゃんと話を聞いてればこんなことにはならなかったはず…」


床にうつ伏せになりながら主さまを想い、仰向けになって腹巻を巻いた腹に両手を置くと不思議と気分が落ち着いてきた。

今は意固地にならずに素直になる時。

明日は主さまに謝って、話し合う時。


「おや…寝てしまったのか。…私の愛娘を切なさで泣かせるなどあってはならぬことだ。十六夜め、今後も私からの小言で苦しむといい」


部屋に戻った晴明は、真っ白な紙にさらさらと何事かを書いて折ると空に飛ばした。

文は式となり、幾許かして百鬼夜行中の主さまの元へとたどり着く。


「……な…なんだと…?」


そして主さまの脚を止めることに成功し、怯えさせた。
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