主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
晴明は、主さまが近付いてくる度に違和感を拭えなくなっていた。


…血臭がするのだ。

主さまから、大量の血しぶきを浴びたような血の匂いが……


「十六夜…それ以上息吹に近付くな」


あと数歩で手を伸ばせば息吹に触れることができる距離で主さまの脚が止まる。

また息吹も主さまからいやな匂いがして、着物の袖で鼻を押さえて1歩遠ざかった。


「主さま……どうしちゃったの……?」


「息吹……俺は……」


それっきり言葉を詰まらせて唇を震わせている主さまが、今一生懸命理由を話そうとしているのがわかった。

不器用な人だから…きっと言葉を選んで選んで、話そうとしてくれているのがわかった。



「…私…きっとまた勘違いしちゃってるんだよね。主さま…そうだよね…?」



縋る思いで問うと、主さまは背後でことりと音がして肩越しに振り返ろうとしたのだが――息吹の静かな圧に気圧されたかのように身体が強張ってしまった。


実際問題、こうして椿姫にここに閉じこめられて酩酊させられて…1ケ月もの間、息吹との約束を破って人を食っていたのは事実。

言い訳などおこがましく、けれど息吹とは言葉を交わしたくてなんとか言葉を振り絞ろうとした時――息吹がくすりと笑った。



「この子ね、すっごく蹴るの。すごく元気で……だから主さま…大丈夫だから」


「…?……息吹……何を…言って…」


「この子は…私が育てます。主さま…だから………私と離縁して下さい」


「…!いぶ、き……!?」



腹を抱えて深々と頭を下げた息吹は絶句する主さまの前で顔を上げず、乾いた土にぽとりと涙が落ちて吸い込まれてゆく。


よもや離縁を言い渡されるとは夢にも思っていなかった主さまは、1歩息吹に近寄ろうとして左頬に鋭い痛みを覚えて頬を押さえると、指にはべったり血がついていた。


「それ以上息吹に近付くな」


「…晴明……」


厳しい表情の晴明はふいっと視線を外して息吹の両肩をそっと抱いてさらに主さまから遠ざける。


何が起きているのか理解できていない態の主さまが息吹を引き止めるために声を振り絞ろうとした時――


「十六夜様……」


「…!」


本堂の戸が少しだけ開いて顔だけ出した椿姫の存在に、息吹の身体が引きつる。


主さまの真の名を呼んだ女――


もうこの人を、諦めよう。


息吹はなんとか笑みを浮かべて、晴明に抱き着いて顔を隠した。

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