主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
椿姫には好いた男が居る。

そして主さまはその椿姫に捕らわれてずっと一緒に居た。

…出会うまでは女遊びの激しかった主さまにそんなことが可能なのか?


いや、あの人は約束してくれたはずだ。

もうお前以外の女は抱かない、と。


「……主さま…」


部屋に戻って机の前に座り、ぽつりと呟いた時――腹の中で我が子が大きく動いた。

手の形がわかるのではないかというほど身体の中から押されて、座椅子の背もたれに身体を預けた息吹は腹を撫でて深呼吸をする。


「あなたの父様はね…すごい人なの。悲しい別れ方をしちゃったけど…あなたが大きくなって会いたいって言うのなら…会ってもいいよ。きっと…照れちゃうと思うけどそういう人だから…」


言い聞かせているうちに視界が歪んできた。

すぐに照れて恥ずかしがって突っぱねる主さまの可愛らしい一面が大好きで、どうしても父代わりとは思えずに男として意識したはじめての人。

妖と人という立場を超えてようやく夫婦になれたのに、離縁を選んでしまった自分――


「…もう後悔してるの…?私ったら…意気地なし…」


あの大きな手でもう抱きしめてもらえない。

あの低い声で、もう囁いてもらえない。

あのはにかみ笑顔をもう…見ることができない。


「大丈夫…すぐに慣れるから…。私があなたをちゃんと産んで育ててあげるから、父様が居なくてもふたりで生きていこうね」


――息吹が腹を撫でながらそう言い聞かせている姿を晴明は襖を少しだけ開けて盗み見ていた。

なおいっそう愛娘を哀れに感じて、今すぐ手を引いて幽玄町に連れて行って椿姫と対面させたかったが…そんな乱暴なことをしては息吹の心が壊れてしまう。


重要なのは、息吹が椿姫に会おうと思うこと。

そして主さまが、息吹に会いに来ること。


「皆が皆不器用揃いだ」


「お前のように器用な奴ばかりじゃない。俺が息吹の様子を見ているからお前は十六夜を見て来い。何か術は見つかったのか?」


一通り銀に事情を話していた晴明は、いつの間にか隣に立っていた銀の肩を押して息吹の部屋から離れた。

離れながら、儚げな吐息をついて首を振った。


「まだだ。十六夜はともかく酒呑童子が椿姫の奪取に動かぬ間に決着をつけたい。…どこで何をしているのやら」


その頃酒呑童子は…


札を貼られた牢の中で、吠えていた。


「椿姫に会わせろ!ここから出せ!」


血を吐くほどに。
< 273 / 377 >

この作品をシェア

pagetop