主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
「ひびが入った。そろそろ結界が割れる」


「は…はい…」


球体となって都を包み込んでいた結界をひとりで崩壊させようとしている男が、場違いな微笑を浮かべた。

同行していた茨木童子はその男――酒呑童子の背中を戦々恐々とした瞳で見つめる。


檻に幽閉していた間、酒呑童子は長い間大人しくしていた。

その間にまさか力を蓄えようとしていたとは――


「酒呑童子様…あなたという方は…」


「安部晴明の結界も大したことはなかったな。だが刀を一本駄目にした。いい刀だったのに」


妖刀で結界を攻撃し続けた結果、何本か持っていたうちの一番妖力の高い刀はぼろぼろになって使えなくなった。

大切にしていた刀を失ってまで椿姫を取り戻そうとしている酒呑童子の心理をやはり未だに理解できない茨木童子は、心から崇拝している酒呑童子に従うよりほかに術はない。


刀を振るい続けた結果、ぴしぴしと音が鳴って結界が壊れた。

酒呑童子の眼下には、人ひとり歩いていない幽玄町が。

恐らく主さまがそう命じているのだろうが、酒呑童子としても人々を襲う気は毛頭ない。


とにかく椿姫を取り戻したい――

ただその一心で、空中から舞い降りて幽玄町の大地を踏んだ。


「また来やがったのか小僧!主さまの下には向かわせんぞ!」


「あの男の配下か。今俺の邪魔をするとその命消し飛ぶぞ。それでもいいならば向かって来い」


一斉に酒呑童子を取り囲んだ百鬼たちは、軽い挑発に乗るような軽率な判断はしない。

酒呑童子とその背後に控えている茨木童子を睨みつつ、それぞれ手にしていた刀や爪を引っ込めて問いかけた。


「ならば何をしに来た?」


「椿姫を迎えに。今はそれだけだ」


「蔵に閉じ込めているあの女のことか?」


百鬼たちがひそりと言葉を交わした内容を聞き逃さなかった酒呑童子が一歩前進して鋭い目つきで睨みつける。


「椿姫を捕らえて何をした?まさかあの男が食ったんじゃ…」


「私の結界を壊したようだな」


話に割って入ったのは、最強と思っていた結界を壊されて臍の曲がった晴明だ。

臨戦態勢であることを象徴する尻尾と耳の生えた晴明にまた場違いに笑いかけた酒呑童子は、手を伸ばした。


「俺に椿姫を返せ」


それだけが、全て。
< 311 / 377 >

この作品をシェア

pagetop