箱の中の彼女
□
駅を降りて。
孝太は、走り出した。
別にやましいことはない。
それは、分かっているのだが、さすがに美奈子の家まで他人を連れて行きたくなかったのだ。
プロボクサーの足、なめんなぁ!
何度も通ってきて、多少地理に明るくなっていることもあり、孝太は商店街を駆け抜け、裏路地に入り、そのまま美奈子の家まで直行したのだ。
ごめんくださいという前に、玄関まで入り込んでいた。
ぜいぜいはぁはぁ。
そこで、ダッシュのツケである呼吸を整える。
「「孝太くん…?」」
そんな騒々しい玄関に、美奈子がやってくる。
嬉しさに、彼が顔を輝かせようとした時。
彼女の後ろから、スーツ姿の男性が出てきた。
「それじゃあ青木さん、次の仕事の件、頼みますね」
「「はい、わざわざありがとうございました」」
そう、彼女ににこやかに笑いかける男は、ちらと孝太を見た後、何事もなく行き過ぎようとして、はたと足を止める。
「岡崎…孝太? 新チャンプの?」
間の悪い時に、来てしまったようだ。
美奈子は、出版物の翻訳をしている。
仕事の話をしにきた、ということは──出版関係の人間ということだ。
こういう時、どうすればいいのか。
「「前にご縁が会って、知り合ったんです。時々、こうして訪ねてきてくれるんですよ」」
美奈子は、当たり障りのないように男の疑問をかわそうとした。
だが、その表現は孝太には不満で。
そんなんじゃなくて、と。
この間、ちゃんとそういう関係になったじゃないか、と。
「そうだったんだ。よかったらうちの出版社の取材、受けてくれないかな…君なら大歓迎だよ」
男は、名刺を出して孝太に渡すと、ついでに握手も求められた。
「今度から、岡崎孝太くんの取材の時は、青木さんを通すかな…ハハハ」
うさんくさい軽やかな笑いを浮かべつつ、彼は去って行く。
「ええと…」
ようやくお邪魔虫がいなくなって、孝太は彼女を見上げる。
「ええと…会いに来ました」
名刺をぐしゃっとポケットに突っ込みながら、彼は胸を張って宣言した。
※
「「毎日…孝太くんを見てたわ」」
お茶を出しながら、美奈子が話し始める。
ま、毎日!?
1週間ほど来られなかったのに、どうやってと思ったら──彼女の目が、テレビに向いた。
「「だって、毎日のように孝太くんが出るんだもん」」
笑いながら言われて、孝太は少し恥ずかしくなった。
変な映り方してなかったかなとか、アホなこと言ってなかったかなとか。
「今だけ、みたいです…すぐ静かになるって言われました」
若くて強いから、ちょっともてはやされているだけなのだ。
それくらい、孝太だって分かっている。
チャンピオンになる前から、応援してくれたおっちゃんたちの方が、よっぽどファンとしては嬉しかった。
「「相変わらずね。私は、この一週間、孝太くんを見ながら、いろいろ考えてたわ」」
思い出したように、彼女は薄く微笑む。
「お、オレも美奈子さんのこと、考えてました! 会いたかったです!」
自分のことを、考えていた。
そう言われて、嬉しくないはずがない。
美奈子が、孝太のことを。
テレビで毎日見ながら、考えていてくれたなんて。
「「孝太くんのこと、本当に何にも知らなかったんだなって」」
少し、寂しげな声。
孝太は、首をひねった。
「オレも美奈子さんのこと、何も知りません。だから、大丈夫です」
ひねりながらも、お互い様だと安心させようとしたのだ。
孝太理論に、美奈子は困った表情を浮かべる。
「「ごめんね、いまだから言うけど、私、孝太くんをスポーツ選手だと思ってなかったの」」
何を、言おうとしているのだろう。
首を斜めにしたまま、彼は美奈子の言葉を聞き続ける。
「「ええとね…うちの父、ヤクザものだったのよ。この辺じゃ有名な」」
はぁ。
初めて聞く事実ながら、孝太は『そうなんですか』くらいにしか受け止めようがなかった。
「「スポーツ選手が、ヤクザの娘と付き合ってるって…良くないんじゃない?」」
これは──危険な話の流れだった。
駅を降りて。
孝太は、走り出した。
別にやましいことはない。
それは、分かっているのだが、さすがに美奈子の家まで他人を連れて行きたくなかったのだ。
プロボクサーの足、なめんなぁ!
何度も通ってきて、多少地理に明るくなっていることもあり、孝太は商店街を駆け抜け、裏路地に入り、そのまま美奈子の家まで直行したのだ。
ごめんくださいという前に、玄関まで入り込んでいた。
ぜいぜいはぁはぁ。
そこで、ダッシュのツケである呼吸を整える。
「「孝太くん…?」」
そんな騒々しい玄関に、美奈子がやってくる。
嬉しさに、彼が顔を輝かせようとした時。
彼女の後ろから、スーツ姿の男性が出てきた。
「それじゃあ青木さん、次の仕事の件、頼みますね」
「「はい、わざわざありがとうございました」」
そう、彼女ににこやかに笑いかける男は、ちらと孝太を見た後、何事もなく行き過ぎようとして、はたと足を止める。
「岡崎…孝太? 新チャンプの?」
間の悪い時に、来てしまったようだ。
美奈子は、出版物の翻訳をしている。
仕事の話をしにきた、ということは──出版関係の人間ということだ。
こういう時、どうすればいいのか。
「「前にご縁が会って、知り合ったんです。時々、こうして訪ねてきてくれるんですよ」」
美奈子は、当たり障りのないように男の疑問をかわそうとした。
だが、その表現は孝太には不満で。
そんなんじゃなくて、と。
この間、ちゃんとそういう関係になったじゃないか、と。
「そうだったんだ。よかったらうちの出版社の取材、受けてくれないかな…君なら大歓迎だよ」
男は、名刺を出して孝太に渡すと、ついでに握手も求められた。
「今度から、岡崎孝太くんの取材の時は、青木さんを通すかな…ハハハ」
うさんくさい軽やかな笑いを浮かべつつ、彼は去って行く。
「ええと…」
ようやくお邪魔虫がいなくなって、孝太は彼女を見上げる。
「ええと…会いに来ました」
名刺をぐしゃっとポケットに突っ込みながら、彼は胸を張って宣言した。
※
「「毎日…孝太くんを見てたわ」」
お茶を出しながら、美奈子が話し始める。
ま、毎日!?
1週間ほど来られなかったのに、どうやってと思ったら──彼女の目が、テレビに向いた。
「「だって、毎日のように孝太くんが出るんだもん」」
笑いながら言われて、孝太は少し恥ずかしくなった。
変な映り方してなかったかなとか、アホなこと言ってなかったかなとか。
「今だけ、みたいです…すぐ静かになるって言われました」
若くて強いから、ちょっともてはやされているだけなのだ。
それくらい、孝太だって分かっている。
チャンピオンになる前から、応援してくれたおっちゃんたちの方が、よっぽどファンとしては嬉しかった。
「「相変わらずね。私は、この一週間、孝太くんを見ながら、いろいろ考えてたわ」」
思い出したように、彼女は薄く微笑む。
「お、オレも美奈子さんのこと、考えてました! 会いたかったです!」
自分のことを、考えていた。
そう言われて、嬉しくないはずがない。
美奈子が、孝太のことを。
テレビで毎日見ながら、考えていてくれたなんて。
「「孝太くんのこと、本当に何にも知らなかったんだなって」」
少し、寂しげな声。
孝太は、首をひねった。
「オレも美奈子さんのこと、何も知りません。だから、大丈夫です」
ひねりながらも、お互い様だと安心させようとしたのだ。
孝太理論に、美奈子は困った表情を浮かべる。
「「ごめんね、いまだから言うけど、私、孝太くんをスポーツ選手だと思ってなかったの」」
何を、言おうとしているのだろう。
首を斜めにしたまま、彼は美奈子の言葉を聞き続ける。
「「ええとね…うちの父、ヤクザものだったのよ。この辺じゃ有名な」」
はぁ。
初めて聞く事実ながら、孝太は『そうなんですか』くらいにしか受け止めようがなかった。
「「スポーツ選手が、ヤクザの娘と付き合ってるって…良くないんじゃない?」」
これは──危険な話の流れだった。