Over Line~君と出会うために
「返せよ!」
 焦って飛びつくようにして、その手から携帯を奪い取る。
 にやにやする相手を睨みつけて、携帯を胸元に抱え込んだ。
 持ち主に無断で携帯を手にしていたのは、ツアーのサポート・メンバーであるギタリストの沢口彰(さわぐちあきら)だ。彼は貴樹に奪い返されたのが心外であったらしく、やけに不満そうな顔で貴樹を見据えた。
 心外なのはこっちの方だ、と、貴樹は心の中で愚痴る。
 このメンバーは気心も知れているし、大好きだ。しかし、人をからかうことを何よりも楽しんでいる天宮の下では、貴樹のヒエラルキーは一番下だ。世間的に見れば、メイン・ヴォーカルである貴樹がこのプロジェクトを引っ張っているように見えているのかもしれないが、実際は逆である。貴樹は天宮の体のいい玩具と化していることが多いのだ。
 そんな天宮の号令があれば、貴樹のプライバシーなどどこ吹く風となる。油断も隙もないとは、正にこのことだった。
 大体、貴樹の感覚からすれば、今は真剣な仕事中なのだ。だから、携帯の電源も切っていたし、そういうふざけたことはしてはならないと思っている。なのに、天宮にかかれば真剣さなどあっという間にどこかに吹き飛んでしまう。根が真面目でバカ正直な貴樹は、そのたびに天宮の餌食である。
 ここの連中に正論を説いてみたって意味がない。そんなことは、今までの経験で嫌と言うほどわかっているはずなのに、つい反論を試みる。
「な、なんで、人の携帯を勝手に見るんだよ! それに、今は打ち合わせ中じゃないか!」
「関係ないだろ。気になるから見るんだよ。可愛い貴樹くんが色気づいたのかと思うと、俺としては心配で夜も眠れないね。前の彼女にこっぴどく振られたの、忘れたわけじゃないだろ?」
 天宮がそう言うと、沢口が同意するように大きくうなずいた。
「そうそう、いきなり出て行っちゃったんだよねぇ。同棲までしてたのにさ。貴樹、あの後、かなり落ち込んでたじゃないか」
「あー、そうだったそうだった。REAL MODEの東城貴樹に用はないんだっけ? ひどいこと言うよねぇ」
 頼みもしないのに、人の古傷を抉るようなことをほざき、にやにやと笑う天宮。鬼だと思うが、天宮のことを嫌いになれるわけではない。口ではこんなことを言ってはいるが、あの時、貴樹のことを誰よりも心配して憤慨してくれたのは、天宮だからだ。
 それでも、時折、殺意が芽生えることに違いはない。彼のことは好きだし、好きと言うよりもむしろ尊敬に近い目で見ているのだが、こういう時は本気で憎らしい。
 この人たちの前で気を抜けば、何をされるかわかったものではない、と、貴樹は思っている。それでも、性懲りもなく毎度ターゲットにされてしまうのは、貴樹がこのメンバーを信頼していて無意識に気を抜いてしまっているからなのだろう。
 貴樹は憮然として元の席に戻り、がたんと大きな音を立てて椅子に引いた。そこにいた全員の視線が一斉に貴樹に集中したが、それを払いのけるように口を開く。
「時間、あり余っているわけじゃないんでしょ。打ち合わせ、続けませんか」
 表情を崩さずに、貴樹はそう言う。
 だが、その瞬間に帰ってきたのは、まるで責任転嫁のような台詞だ。
「いや、俺も、打ち合わせを続けたいのは同意なんだけどさ。何しろ、昨日のことが気になっちゃってねぇ」
「そ、それは俺のせいじゃないですよね!?」
「うーん、貴樹のせいかもなぁ?」
 そんな天宮の楽しそうな声を無視して座ろうとして腰を落としかけたところを、いきなり音もなく近づいてきた相手に羽交い絞めにされる。そっちに気を取られた隙に、脇から天宮が手を伸ばして貴樹の携帯を奪い取った。
「……さて」
「さて、じゃねえだろっ! 俺のプライバシーは無視か!?」
「なーに寝言を言ってんの。俺たちは、純粋に貴樹を心配してるんだよ? さー、沢くん、俺がチェックしている間、そのアホ犬押さえといて」
「アホ犬って言うなぁ!」
「どうせ、履歴を消すとか、ロックをかけるとか、そういう真似はしていないんだろ。詰めが甘くて可愛いね、貴樹は」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ貴樹を横目に、天宮は携帯を楽しそうに開く。今ほど、きちんとロックを掛ける習慣を持っていなかったことを悔やんだことはない。貴樹の身体を拘束する沢口の力は強く、振りほどけない。じたばたと暴れても、拘束する腕の力が緩むことはなかった。無駄だとわかってはいても、暴れるのをやめることはできなかったけれど。
 今後は、ちゃんと暗証番号つきでロックをかけるべきだ。でないと、次にはメールを見られるどころか、周囲に転送されてばら撒かれてしまいそうだ。
「最新のメールの送信先……へぇ、女か?」
「返せってば!」
「貴樹が最初から素直にこれを渡せば、俺たちだって乱暴なことはしないんだよ?」
 まるで、今の状況は貴樹が悪いかのような言い草である。天宮のこういう態度は今に始まったことではないが、毎度玩具にされる貴樹にしてみればたまったものではない。
「そ、それって俺のせいなの?」
 無駄な抗議を、さっきから何度繰り返しているだろう。貴樹はそう思いながらも、なけなしの抵抗を試みる。ここで屈してしまっては、次からは更なる玩具扱いが待っているに決まっているのだ。
「大体さ、昨日の時点で警戒しないわけ? 普段は身なりにろくに気も使わない、たまにお前どこのオタクだよってな格好をしている貴樹が、だよ。昨日に限って、撮影の後にメイクも直さず、衣装さんに揃えてもらった服をそのまま引き取って帰るってのがおかしいことくらい、バカでもわかるだろっての。その理由を邪推したくなるのは、人として当然だろ? どうせ、女絡みだろ。ああん?」
「順平ちゃんに関係ないだろ! 昨日は、たまたまそういう気分で」
「たまたま、そういう気分? やっちゃんにお願いしたんでしょ。これから出かけるから、いい印象を与えるメイクをして、って」
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