Over Line~君と出会うために
安野のヤツ、そんなことまでこいつに喋ったのか!
貴樹は、内緒にしておいてくれと頼んだはずの秘密が、既に全く機能していないことに気づいて、うなだれた。
やっちゃんこと安野泰司(やすのたいじ)は、貴樹のヘアメイク担当のスタッフだ。彼がいるからこそ、REAL MODEの東城貴樹のメイン・ヴィジュアルが完成しているのだと言っても、過言ではない。彼の存在は欠かせないし、だからこそ、彼の技術には絶対の信頼を置いている。
だから、昨日。
撮影の合間の控え室で、貴樹はこっそりと安野に頼んだのだ。少しでも彩に好印象を与えたいと思ったけれど、自分でそういう演出をすることにまるで自信がなかったから、つい手近にいるプロに頼んでしまった。とは言え、安野は身内も同然のスタッフである。遠からず天宮には知られるだろうとは思ってはいたが、昨日の今日とは早すぎる。
それでも、それを甘受して天宮の言いなりになっているほど、貴樹も気弱ではいられない。
「強情になるのは、感心しないなぁ、貴樹くん? そんなふうに力いっぱい否定されちゃうとさ、余計に詮索したくなるのが人間ってもんなんだよねぇ」
その理屈は確かに正しいのかもしれないが、甚だ自分本位であるとしか思えない。
と、その時。
「いい加減にしなさいよ、あんたたち!」
それまで黙ったままで事の成り行きを見守っていたマネージャーの栗原が、たまりかねたように叫んだ。
「今は、何の時間かしらねぇ、天宮? 打ち合わせの時間だったような気がするのは、私の勘違いかしら? すぐに悪ふざけは終わるかと思っていたけど、いつになったら脱線は修正されるの! どうして、あんたたちはそうもいい加減かなぁ!?」
「そんなこと言ってるけどさ、栗ちゃん。昨日の夜、一番知りたそうにしてそわそわしてたの、自分だってわかってる? 明日、貴樹吊るし上げようぜーって息巻いてたのも栗ちゃんだし。何と言っても、栗ちゃんがREAL MODEの東城貴樹のイメージを作り上げたんだし」
「確かにね、私が気にしているのは事実よ。でも、東城くんの恋愛沙汰よりも、今はツアーの最終打ち合わせの方が大事でしょ? REAL MODE初挑戦の全県ツアー、しかも、半年で六十本近いライブをこなさなきゃならない。くだらない騒ぎを起こして打ち合わせの進行を邪魔するなら、たとえ天宮でも許さないからね」
「うわぁ、栗ちゃんこわーい。まあ、そう言われたら仕方ないね。真面目にお仕事に戻りましょー!」
「それから、東城くん」
「……はい」
「別に、うちは恋愛を禁止してないわ。でも、今の自分の立場を考えて行動するのを忘れないでね。体調管理も、イメージを保つことも、あなたの大事な仕事よ」
「わかってます」
「はい、じゃあ、続けるわよ!」
至極尤もなマネージャーのとりなしには納得したのか、天宮も真面目な表情に戻って椅子に座り、それぞれに意見を出し合って話し合いが再開される。一瞬前までふざけたことをしていても、こうして即座に切り替えができるところが天宮のすごいところであり、このメンバーの尊敬できる部分だ。
そんな気心の知れたメンバーの熱の籠もった議論を眺めながら、貴樹は間近に迫りつつある次のツアーに思いを巡らせる。
(ツアーか……)
REAL MODEは、もうすぐデビュー五周年を迎えようとしている。
これまでにも全国ツアーを回ったことはあるが、今回ほど大掛かりなツアーは初めての試みだった。各地のアリーナクラスでの二日間公演を含む、全五十八本の大規模な全県ツアー。今現在の売り上げと集客数があるからこそ、チャレンジできるものだ。今まで以上に緊張するし、打ち合わせも真剣に取り組まざるを得ないことはわかっている。
でも。
どうしても、気になる。引っ掛かってしまう。
それは、もちろん彩のことだった。
結局、貴樹は自分がどんな仕事をしているのかということを話すことができなかった。せっかく得ることのできた、REAL MODEの東城貴樹というイメージを知らない友だち。初めて、自分から誘って親しくなってみたいと思った女性。
言えるはずが、なかった。いや、言おうとは思ったけれど、言えないまま終わってしまった。
彩から仕事を聞かれて、「フリーでいろいろ」などと曖昧に答えたくらいで、それでは全く答えにはなっていない。フリーで働いているという意味では間違いではないかもしれないが、限りなく嘘に近い答えであることは自覚している。
たぶん、自分は、彩に惹かれ始めている。きっと、そうだと思っている。
そうでなければ、食事になんて誘ったりしない。それは、充分すぎるほどに理解しているし、だからこそ、知られたくないとも思ったのだ。彩にだけは、そんなフィルターを通して自分を見て欲しくなかった。素の自分を、知って欲しかった。
「……ダメだ、ありゃ。頭がお花畑じゃね?」
天宮の呆れた声が、溜め息に重なる。
明後日の方向を見て溜め息をつく貴樹を見て、天宮は肩をすくめた。
貴樹は、内緒にしておいてくれと頼んだはずの秘密が、既に全く機能していないことに気づいて、うなだれた。
やっちゃんこと安野泰司(やすのたいじ)は、貴樹のヘアメイク担当のスタッフだ。彼がいるからこそ、REAL MODEの東城貴樹のメイン・ヴィジュアルが完成しているのだと言っても、過言ではない。彼の存在は欠かせないし、だからこそ、彼の技術には絶対の信頼を置いている。
だから、昨日。
撮影の合間の控え室で、貴樹はこっそりと安野に頼んだのだ。少しでも彩に好印象を与えたいと思ったけれど、自分でそういう演出をすることにまるで自信がなかったから、つい手近にいるプロに頼んでしまった。とは言え、安野は身内も同然のスタッフである。遠からず天宮には知られるだろうとは思ってはいたが、昨日の今日とは早すぎる。
それでも、それを甘受して天宮の言いなりになっているほど、貴樹も気弱ではいられない。
「強情になるのは、感心しないなぁ、貴樹くん? そんなふうに力いっぱい否定されちゃうとさ、余計に詮索したくなるのが人間ってもんなんだよねぇ」
その理屈は確かに正しいのかもしれないが、甚だ自分本位であるとしか思えない。
と、その時。
「いい加減にしなさいよ、あんたたち!」
それまで黙ったままで事の成り行きを見守っていたマネージャーの栗原が、たまりかねたように叫んだ。
「今は、何の時間かしらねぇ、天宮? 打ち合わせの時間だったような気がするのは、私の勘違いかしら? すぐに悪ふざけは終わるかと思っていたけど、いつになったら脱線は修正されるの! どうして、あんたたちはそうもいい加減かなぁ!?」
「そんなこと言ってるけどさ、栗ちゃん。昨日の夜、一番知りたそうにしてそわそわしてたの、自分だってわかってる? 明日、貴樹吊るし上げようぜーって息巻いてたのも栗ちゃんだし。何と言っても、栗ちゃんがREAL MODEの東城貴樹のイメージを作り上げたんだし」
「確かにね、私が気にしているのは事実よ。でも、東城くんの恋愛沙汰よりも、今はツアーの最終打ち合わせの方が大事でしょ? REAL MODE初挑戦の全県ツアー、しかも、半年で六十本近いライブをこなさなきゃならない。くだらない騒ぎを起こして打ち合わせの進行を邪魔するなら、たとえ天宮でも許さないからね」
「うわぁ、栗ちゃんこわーい。まあ、そう言われたら仕方ないね。真面目にお仕事に戻りましょー!」
「それから、東城くん」
「……はい」
「別に、うちは恋愛を禁止してないわ。でも、今の自分の立場を考えて行動するのを忘れないでね。体調管理も、イメージを保つことも、あなたの大事な仕事よ」
「わかってます」
「はい、じゃあ、続けるわよ!」
至極尤もなマネージャーのとりなしには納得したのか、天宮も真面目な表情に戻って椅子に座り、それぞれに意見を出し合って話し合いが再開される。一瞬前までふざけたことをしていても、こうして即座に切り替えができるところが天宮のすごいところであり、このメンバーの尊敬できる部分だ。
そんな気心の知れたメンバーの熱の籠もった議論を眺めながら、貴樹は間近に迫りつつある次のツアーに思いを巡らせる。
(ツアーか……)
REAL MODEは、もうすぐデビュー五周年を迎えようとしている。
これまでにも全国ツアーを回ったことはあるが、今回ほど大掛かりなツアーは初めての試みだった。各地のアリーナクラスでの二日間公演を含む、全五十八本の大規模な全県ツアー。今現在の売り上げと集客数があるからこそ、チャレンジできるものだ。今まで以上に緊張するし、打ち合わせも真剣に取り組まざるを得ないことはわかっている。
でも。
どうしても、気になる。引っ掛かってしまう。
それは、もちろん彩のことだった。
結局、貴樹は自分がどんな仕事をしているのかということを話すことができなかった。せっかく得ることのできた、REAL MODEの東城貴樹というイメージを知らない友だち。初めて、自分から誘って親しくなってみたいと思った女性。
言えるはずが、なかった。いや、言おうとは思ったけれど、言えないまま終わってしまった。
彩から仕事を聞かれて、「フリーでいろいろ」などと曖昧に答えたくらいで、それでは全く答えにはなっていない。フリーで働いているという意味では間違いではないかもしれないが、限りなく嘘に近い答えであることは自覚している。
たぶん、自分は、彩に惹かれ始めている。きっと、そうだと思っている。
そうでなければ、食事になんて誘ったりしない。それは、充分すぎるほどに理解しているし、だからこそ、知られたくないとも思ったのだ。彩にだけは、そんなフィルターを通して自分を見て欲しくなかった。素の自分を、知って欲しかった。
「……ダメだ、ありゃ。頭がお花畑じゃね?」
天宮の呆れた声が、溜め息に重なる。
明後日の方向を見て溜め息をつく貴樹を見て、天宮は肩をすくめた。