短編集
せっけん
島子とあずみが丹後の国(京都近辺)で暮らし始めて幾日か経過したある日の晩。
 あずみは気になったことを尋ねてみた。
「島子さん。あなたのほかに住人がいないのは、なぜ」
「そういえば言ってなかったね、ぼくだけ母上の特性を継いでいて、不老不死なんだ。だからみんな老衰で…」
「そ、そう」 
 島子の母上、亀の化身の亀比売様(かめひめさま)は、神仙の国の乙女で、それは美しかったという。
「ぼくの父は母上を海で釣り上げて、恩着せがましく恩返ししろ、といって、母上を解き放ったんだって。母上は恩返しのつもりだったのに、父上に無理やり」 
「うっ、それはひどい…」
「でも母上は、もともと父上を慕っていたみたいだから、それだけは救いだったようだね」
 島子は引きつった笑いをあずみに向けていた。
「そ、そうね」
「ところでさ。さっきから、きみ、いい匂いするね。なんの香りだい」
 島子が尋ねた匂いのもとは、あずみの使った石鹸にあった。
「これ。石鹸よ」
「せっけん…? はじめてみた。あ、いい香りがする」
「そっか。この時代にはないものだったわね。亀さんなにも教えてくれないから、いちから説明しなくちゃいけない」
 とまあ、あずみはボヤいていたけれど、島子は石鹸の匂いに酔ったのか、あずみの背中に腕を回して抱きしめてきた。
「匂いがはじけるねえ。でも歌までは浮かばない」
「珍しいのね。いつも和歌するのに」
「どうもだめだな。この匂いがよすぎるんだ。たまらない」
「さっき一緒にお風呂、入ればよかったのに。そしたら島子さんも石鹸使えたよ」
 あずみが、あっけらかんと笑いながら言うと、島子は頬を赤くした。
「私、日本で生まれたんじゃないの。ストックホルムっていう寒い北の国で生まれたの」
「へえ、そうだったんだ」
「日本は知らない国ということもあるんだけど、好きじゃない。でも…」
 少しだけ恥らいながら、島子から視線を外し、うつむいた。
「でも?」
「あなたは好き」
 島子を熱の帯びた、潤んだ眼差しで見上げる。
「あ、あずみ。…ぼくもだよ」
 あずみを抱き寄せて、顔を近づけていく島子。あずみは島子の肩を強くつかんで身体をまかせた。
 島子と、うっとり、キスを交わしたまま、あずみは窓に視線を投げかける。
 案の定、白鷺がふたりの様子を窺っていた。
 あずみはふて腐れたように瞼を閉じ、島子を味わっていた、が、我慢の限界だったようだ。
「気が散ってしょうがないわ。島子さん。ちょっと行ってきていい?」
「どこへいく」
「皇子様よ。そろそろ来るな、と思うと、いつも窓に張ってるんだもん。なんかいやだから」
「待て。いかないでくれ。ぼくは…その…」
 いつになく、あずみの腕を、力をこめてつかんだ。
「いまは…あずみを離したくない」
「島子さん」
 あずみをきつく締めつけるように抱擁する島子。
「好きだ、好きだ…狂ってしまいたいほど、きみが好きだ」
 島子はいつになく感情をむき出しにして、頬ずりをしたり、積極的な求愛をする。
 あずみのほうでも、ここまで求めてくる島子は、初めて目の当たりにしたので、高揚を抑えきれずにいた。
「私も島子さんが好き。大好きだよ…。お願い、一生離さないでいてね…」
 
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