黒猫のアリア
私は少しため息を吐いてから、自分の財布から一ペンスを取り出してピエロの足元に置いてあるシルクハット目掛けて投げた。チャリン、と硬貨がぶつかる音がして、私が投げた一ペンスはシルクハットの中へ収まった。
その場面でお金を入れたのは私だけだった。ピエロはこれから玉の上で逆立ちをしようとしているところで、観客は固唾を飲んで見守っていた。おかしなタイミングで投げ入れられたコインに、ピエロは不安定な格好のまま一瞬だけこちらを見た。目が合った気がした。私は少しだけ微笑んで、すぐにくるりと踵を返した。一拍置いてから背中から歓声が上がる。どうやらピエロが玉の上で逆立ちをしたらしい。
(ま、あんたらしいか)
怪盗をサンタクロースと混同しているような、陽気な男なのだから。
日の光を受けて木々がきらきらと輝く。子供たちの笑い声、八百屋の掛け声、平和な町。間抜けなピエロの笑顔が浮かんで、なんとなく心がふわりとした。
(たまにはこんな平和な日もいいなあ)
買い物かごをぶらぶらぶらさげて、ガラにもなくそんなことを思った。
「居たぞ! こっちだ!」
「くそっ、追いかけろ!」
静かな夜のロンドンに、物騒な銃声が響く。屋根から屋根へ飛び移り、私は音も立てずに逃げ続ける。
――――それでも、私は黒猫だ。
平和なんて夢の続き、夜になればふわふわなんてしていられない。文字通り命を懸けた、これが私の生き方だ。ひとに追われても、蔑まれても、憎まれても、私は走り続けるしかない。私が選んだ、生き方だ。
星が瞬くロンドンの夜空の下。
闇夜に紛れるは、黒猫。