黒猫のアリア



「アン、それが終わったら買い物に行ってきてくれないかしら」

この家の主人の妻――私は「奥様」と呼んでいる――が、朝食の後片付けをしていた私に言った。

アン=クレイ。それが私の本当の名前。両親がくれた、最初で最後の贈り物。

奥様に了承の返事をし、後片付けが終わったあとに買い物かごを持って外に出た。

青空を背景に、雲がぽかりぽかりと浮いている。淡い日差しが体を抜けていった。

とつとつと歩いて中心街へ差し掛かったところで、道の脇に人だかりができていた。純粋な好奇心から、そのまま人だかりに近づいて覗き込む。中心で注目を集めていたのは一人のピエロだった。
芸のひとつが終わったところらしく、大げさなお辞儀をしながら手に持ったシルクハットの中にお金を受け取っている。コインを投げ入れるのが一段落したところでピエロはシルクハットを足元に置き、両腕を広げて息を吸った。


「さあさあ見てってくださいな! 紳士も淑女も子供たちも! 笑いたいなら見ておいで! ピエロポピーの大道芸、お次は玉乗りだよ!」

底抜けに陽気に言ってのけたピエロに拍手が上がる。子供たちが二、三人、私の横を走り抜けていった。私は雷に打たれたような衝撃を受けてその場に立ち尽くしていた。白塗りをして間抜けな赤い鼻を付けたピエロから目が離せない。


「……モル」

唇が動いただけで、声は出なかった。
陽気なピエロの正体は、かの黒猫、モルペウスだった。
メイクで顔はわからなくとも間違えるはずがない。あの声はモルペウスだ。こんなところで、なんで。


「なんでピエロなんてやってんの……」

今はっきりとわかった。どうやら彼は犯罪者だという自覚がこれっぽっちももないらしい。呆れてものが言えないというのはこういうことか。



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