月宮天子―がっくうてんし―
さっきは本当にヤバイと思うくらい、後方から『恐怖』を感じた。

でも、この程度の男なら屁でもない! と思えるのはなぜだろう?


「いや、とぼけるも何も……。教授に、一日でも早くと言われたんで今日出て来たんですが……なにぶん、初めての東京で迷ってしまって。綾辺公園と書かれた前を通って、あとは細い道を抜けて、ほら、あそこの脇道から出て来たんです。そうしたら、目の前を愛子さんが走り抜けて行ったので、つい」


確かに、そこには住宅街を抜ける細い脇道があった。

だが、愛子が誰かにつけられたことは間違いないのだ。


「この男……男性のことはお聞きになってますか?」

「それは、まあ……でもっ! 名前も知らないし、顔だって私は知りません! ホントにこの男かどうか」

「あっ!」


突然、男が声を上げた。そして、ジーンズの後ろポケットから携帯電話を取り出す。ふたつ折りのそれをパカッと開けると、いくつかボタンを押している。


「これ……教授から頂いた奥さんとお嬢さん方の写真です。それと――こっちが僕と教授が写ったものです。卒業記念で後輩に撮ってもらったんで」


そう言うと、男は人懐こくヘラッと笑った。

なんか、犬みたいだ、と愛子は思った。それも、ほんの何年か前まで飼っていたハスキー犬。

大きくて見た目は怖いが、フレンドリーで大らかな犬だった。誰にでもすぐに懐き、甘え上手なのだ。

自分とはまるで正反対のアイツが――愛子は大嫌いだった。


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