柔き肌に睦言を
「もうすぐ絵画コンクールがあるそうだね。美術部の森先生から提案があってね、コンクールでぜひいい結果を残して欲しい。そうすれば東雲さんの頑張りを認めて、追試は免除します」
そうきたか。
私はコンクール用にはごくありふれた無難な静物画を描いていた。花瓶と皿と果物だ。果物はオレンジとレモンとブドウとリンゴ。そのうち本物はリンゴだけで、あとはレプリカだった。
そんなものをたらたらと描いている私の背後に立った時の森先生の、何か腑に落ちない感を抱いたため息に近いものの存在は、いつも感じとっていた。
手を抜いてはいない。とくに構図などは、十分な時間をかけて納得のいくものにした。斬新さもある。と思う。だがそれ以前の絵にかける熱意が感じられなくなっていたのだろう。
実際私は、もう静物画にそれまでのような面白さは感じなくなってしまっていた。興味の対象は完全に人物に移っていた。もっといえば女性の肉体。いや、この時はまだ自分自身気づいていなかったのだが、睦美その人に強く惹かれていたのだった。
私は迷ったあげく、睦美をモデルにしたあの絵をコンクールに出品することにした。自分の中で半ば神格化されてしまった裸の睦美の絵を発表するのは、十七歳になったばかりのその時の私に取ってはやはり恥ずかしいことだったし、毎晩ひとりで心静かに見つめていた自分だけの女神が遠くへ旅立ってしまうのも、とてもさみしいことだった。
だが一方で、私の女神の美しさを大勢の人に見てもらいたい。私のような溜め息混じりの熱い視線をビシバシ投げかけてもらいたいとも願っていたのだ。
果たしてその通りになり、私の女神は優秀賞を獲得した。大きな美術館の広いイベントスペースに期間限定で飾られたそれは、もう私だけのものでは無くなってしまったかのように思えた。誇らしさとともにやはりある、気恥ずかしさ。これが裸婦の絵でなければ、誇らしさだけを感じていられたのだろうか。しかし賞をとれたのはこの絵であったからこそだ。もっと言えば、私の技術が評価されたのではない。睦美の美しさが人の心を動かしたのだ。そうに違いないのだ。現に私も心動かされている。あの比類無き肉体の美しさに。
そうしていつしか睦美は私のなかで神格化されていった。
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