柔き肌に睦言を
私には兄が一人いる。母がまだ二十歳くらいの若い頃に生んだので、年齢差が十ほどもある。そんな若い頃に貧乏画学生と子供を作ってしまったので、その後、母は母としても女としても賢くなっていったと考えるべきなのかもしれない。
その年の離れた兄と私は一緒に遊んだ記憶が無い。一緒に生活をしていた時期も何年かあったのだが、会話もまったくしなかったわけではなかったのだが、とにかくほとんど覚えていない。ただひとつ覚えていることと言えば、
「牛ってなんで鼻に輪っかしてるの?」
「鼻ピアス。人間でもたまにしてるやついるけど、かっこいいと思ってんのかね」
「牛みたいね」
「牛みたいだよ」
という、テレビのニュースで牛が映ったときの会話だった。なんでその会話だけ覚えているのかはわからない。が、家族四人で過ごした最後のひと時のことだったからかもしれない。兄は高校卒業後、就職して家を出た。
それから先の兄のことは、たまに母から聞く程度だ。何年か前に結婚したというのが、私の中学生当時の、最新にして最後の兄情報だった。
私は高校入学とともに、母と継父の家に戻った。一人暮らしはとても新鮮で楽しいものではあったのだが、自分で家賃含め生活費の全てを賄ってこそ本当の開放感が得られるのだと、その頃の私は漠然と感じていたのだ。確信を持てたのは何年か後に再び一人暮らしを始めた時だったけれど。
もともと人との会話があまり得意でなかったので、私は継父とも不要な雑談に興じるようなことは無かった。それでも、あまり無愛想では母の都合が悪かろうと思い、言葉少なでも笑顔でいることを心掛けた。その作戦は当たり、継父は母に私のことを「思慮深くて聡明な大和撫子」と言ったらしい。さすがにくすぐったく思った。
でも確かに、口数少ないほうが賢く見えるというのはあると思う。私は幼い頃からそうやって買いかぶられてきたのだ。今回「大和撫子」と付いたのは、作り笑顔のおかげだったろう。
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