EVER BLUE
りゅーじに聞いたアパートの名前と道順を頼りに、男二人はりゅーじとその父親の住む家へと向かった。
あの後泣いてしまったりゅーじを自分達のベッドに運び、ついでに千彩に一緒に寝るように言い付け、聖奈には「絶対に鍵を開けるな」と言い付けて家を出た。言い付ける相手が違うような気もするのだけれど、それはそれで不安が残る。千彩には寝ていてもらった方が安心だ。と、男二人の思いは同じだった。
「ここか…」
そう言って晴人が見上げた建物は、まさに「アパート」という言葉がぴったりな古い建物で。こんなところにこんな建物があったとは…と、ちょっとした都会の闇を見た気分になった。
「二階の…一番左。電気点いてるか?」
「うん、点いてるわ」
おそらく父親だろう人物の所在を確認して、二人はコクンと頷き合う。ゆっくりと階段を上り、扉を叩いたのは晴人だった。
「はい」
部屋の奥からは、おそらく父親だろう人物の気だるげな声が聞こえてくる。すぅっと息を吸い込み、晴人は出来る限り落ち着いた声を押し出した。
「夜分遅くに恐れ入ります。リュージ君をお預かりしている者なんですが」
ギィッと開いた扉から覗いた顔に、後に控えていた恵介が思わず声を上げた。
「えっ…ヒカル?」
ヒカルと呼ばれた人物は、上半身が裸の姿のままくしゃくしゃと頭を掻き、晴人と恵介の顔を交互に見て「あぁ…」と短く声を洩らした。
「どうも。お久しぶりっす」
「お前…リュージの父親か?」
「そうっす。何かしました?あのバカ…家から出んなっつったのに」
ヒカルの言葉を最後まで聞き終え、晴人は拳を握り締めて扉を力一杯殴った。
「晴人っ!」
「止めんな」
「あかんって!セナに言われたやろ!」
二人が家を出る際、小さな聖奈に言われたのだ。
「いいですか?絶対に殴ってはダメですよ」
と。
その言葉を思い出し、晴人はグッと拳を握り直すことで怒りを堪えた。
「どこっすか?あいつ」
晴人の怒りを見せつけられても尚悪びれもなく言うヒカルに、さすがの恵介も大きなため息をつく。
「今、ハルの家で預かってる」
「そうっすか。んじゃ、お願いします」
「お願いしますちゃうやろ」
「いない方が楽っす。俺の子かどうかもわかんねーし」
このヒカルという人物は、一時期JAGに所属していたモデルで。まだ晴人が千彩と出会う前だったので10年以上は前の話なのだけれど、突然連絡がつかなくなり、そのまま事務所からは除籍されてしまった。
「取り敢えず中入れてや。話しようや」
「あぁ…どうぞ。きったないっすけど」
怒りに震える晴人の方をグッと掴み、恵介はフルフルと首を横に振る。「わかってるわ」とだけ返事をし、晴人はその「きったない」部屋に足を踏み入れた。
「テキトーに座ってください。ビールでいいっすか?」
「俺はお前と酒を飲みに来たんやない」
ピシャリと言い放ち、晴人は腕を組んで立ったままヒカルを見据えた。
「何か…雰囲気変わりましたね、ハルさん」
「結婚して、4年生の娘がおる。変わって当然や」
「へぇー。あのハルさんが」
同じ事務所に所属していたのだから、ヒカルも当然「千彩と出会う前のハル」を知っている。ニヤリと笑うヒカルを、「あんま刺激すんな」と恵介が窘める。
「MARIさんっすか?相手」
「ちゃう。MARIはMEIJIと結婚した」
「へぇー。やっぱデキてたんだ、あの二人」
まるで「息子のことはどうでもいい」と言わんばかりのその態度に、晴人の怒り指数がぐんぐんと上がって行く。マズイ…と、学生時代から親友をやっている恵介は咄嗟に晴人の肩を掴んだ。
「何や」
「セナに言われたやろ?」
「わかっとる」
「頼むから落ち着いて。さっさと話して帰ろうや。な?」
縋るような恵介の目に、晴人は留守番に「子供三人」を置いてきたことを思い出した。
「起きたらややこしいからな」
「やろ?さっさと終わらそ」
出る前に言い付けてきたものの、寝起きの千彩がそれを思い出すとは限らない。はるがいない!と泣き出してしまえば、聖奈では勿論のこと、自分でさえ携帯越しでは宥めきれないことは明らかだ。ここは恵介の言う通りにするに限る。と、晴人は一度深呼吸をして缶ビールを傾けるヒカルの前に腰を下ろした。
「リュージ、お前の息子で間違い無いな?」
「そうっすよ。ドラゴンの「龍」に漢字の「二」で龍二っす。いい名前っしょ?」
そんなことはどうでもいい!と、晴人は逸る気持ちを無理やり抑え付けた。
「何で放ったらかしてんねん」
「だって、面倒じゃないっすか、ガキって」
「せやったら何で産ませた。母親は誰や」
「わかんないっす。ある日起きたらソファで泣いてたんっすもん」
空いた缶を転がし、ヒカルは天井を仰いだ。そして、ポツリ、ポツリと言葉を押し出す。
「俺だってね、初めは頑張ってたんっすよ。ガキだけ置いてかれて誰が産んだかもわかんねーし、ガキの育て方なんかもっとわかんねーし」
よいしょ、と立ち上がったヒカルの背中が、モデルをしていた頃とはまるで別人のように小さく見えて。二人が顔を見合せて掛ける言葉を探しているうちに、再びヒカルが話し始めた。
「女に預けて仕事行ったりしてたんすけど、それも限界あるし。モデルなんか出来なくなって実家に連れて帰ったんすけど、帰ったら帰ったで親にギャーギャー言われていられなくなってね。結局何やかんやと仕事転々としながらアイツ育てて…疲れたんすよ、俺。もうしんどいっす」
しゃがみ込んで頭を抱えたヒカルを、二人は責めることが出来なかった。
千彩が今の聖奈と同じ年だった頃、母親の美奈はアルコールに溺れて完全なネグレクト状態だったと吉村が言っていた。言葉も知らず、笑うことも泣くことも無く、まるで人形みたいだった千彩を人間にしたのは、他でもない吉村だ。
そんな苦労話を思い出し、晴人はグッと唇を噛んだ。
「龍二は…俺と嫁さんで育てる」
ゆっくりと押し出した晴人の言葉に目を丸くしたのは、掛ける言葉を探していた恵介で。結局考えていた言葉も頭から吹っ飛び、「ちょっ…!」と晴人の肩をバシバシと叩くことでしか意思を表示出来なくなってしまった。
「何や。痛いやろが」
「待ってや!そんなん勝手に決めたあかんって!」
「千彩は了承済みや」
「えー!?もう!何なん、この夫婦!」
いくら恵介と言えど、この夫婦の突飛な思考についていける人物はそうそういない。けれど言われている張本人であるヒカルは、ふっと笑い声を洩らして缶ビールを片手にガシガシと頭を掻いた。
「んじゃ、お願いします」
「ちょっ!ヒカル!」
「いいじゃないっすか。ハルさんガッポリ稼いでるし、ガキが一人増えたところで苦労しないっしょ」
突き放すようにそう言ったヒカルの目は、心なしか潤んでいて。それを確認した晴人は、コタツの上に置いてあったペンを握り、置きっぱなしになっていた封筒の裏に住所と携帯番号を書いた。
「会いたなったらいつでも来い」
「なんねーっすよ、会いたくなんか」
「いつでも来い。俺と嫁さんでしっかり育てたるから」
グッとヒカルに封筒を押し付け、晴人は未だうろたえている恵介の腕を引いて立ち上がった。
「帰るぞ、恵介」
「えっ!?ええん?ホンマにええん?」
「ええんや」
強引に恵介の腕を引いて立ち上がらせた晴人は、ドンッとその背中を押して玄関に追いやり、しゃがみ込んだまま頭を垂れているヒカルを振り返った。
「うちの嫁は、お前と同じような親に育てられた。それでも、助けてくれた人がおって、ええ女に育った。「あの」俺が惚れるようなええ女にな」
「ハル…さん」
「俺はお前が言うようにガッポリ稼いでるから、ええマンションに住んでええ暮らししてる。ガキが一人増えたかて何の負担にもならん。寧ろ、何の苦労もなく息子が手に入るんやからラッキーや」
聖奈の出産時に相当な思いをした晴人は、二人目を欲しがる千彩にずっとピルを飲まし続けていた。もう二度とあんな思いはしたくない。そう思う晴人にとって、千彩の体に負担をかけることなく「二人目」が手に入るのだから、負担どころか言葉通りラッキーだとさえ思っている。
「冷静になったらいっぺん来い。うちの嫁と娘に会わせたる」
そう言い残し、晴人は扉を開いた。
頬に当たる夏の夜風が、何故かひんやりと冷たく感じた。
あの後泣いてしまったりゅーじを自分達のベッドに運び、ついでに千彩に一緒に寝るように言い付け、聖奈には「絶対に鍵を開けるな」と言い付けて家を出た。言い付ける相手が違うような気もするのだけれど、それはそれで不安が残る。千彩には寝ていてもらった方が安心だ。と、男二人の思いは同じだった。
「ここか…」
そう言って晴人が見上げた建物は、まさに「アパート」という言葉がぴったりな古い建物で。こんなところにこんな建物があったとは…と、ちょっとした都会の闇を見た気分になった。
「二階の…一番左。電気点いてるか?」
「うん、点いてるわ」
おそらく父親だろう人物の所在を確認して、二人はコクンと頷き合う。ゆっくりと階段を上り、扉を叩いたのは晴人だった。
「はい」
部屋の奥からは、おそらく父親だろう人物の気だるげな声が聞こえてくる。すぅっと息を吸い込み、晴人は出来る限り落ち着いた声を押し出した。
「夜分遅くに恐れ入ります。リュージ君をお預かりしている者なんですが」
ギィッと開いた扉から覗いた顔に、後に控えていた恵介が思わず声を上げた。
「えっ…ヒカル?」
ヒカルと呼ばれた人物は、上半身が裸の姿のままくしゃくしゃと頭を掻き、晴人と恵介の顔を交互に見て「あぁ…」と短く声を洩らした。
「どうも。お久しぶりっす」
「お前…リュージの父親か?」
「そうっす。何かしました?あのバカ…家から出んなっつったのに」
ヒカルの言葉を最後まで聞き終え、晴人は拳を握り締めて扉を力一杯殴った。
「晴人っ!」
「止めんな」
「あかんって!セナに言われたやろ!」
二人が家を出る際、小さな聖奈に言われたのだ。
「いいですか?絶対に殴ってはダメですよ」
と。
その言葉を思い出し、晴人はグッと拳を握り直すことで怒りを堪えた。
「どこっすか?あいつ」
晴人の怒りを見せつけられても尚悪びれもなく言うヒカルに、さすがの恵介も大きなため息をつく。
「今、ハルの家で預かってる」
「そうっすか。んじゃ、お願いします」
「お願いしますちゃうやろ」
「いない方が楽っす。俺の子かどうかもわかんねーし」
このヒカルという人物は、一時期JAGに所属していたモデルで。まだ晴人が千彩と出会う前だったので10年以上は前の話なのだけれど、突然連絡がつかなくなり、そのまま事務所からは除籍されてしまった。
「取り敢えず中入れてや。話しようや」
「あぁ…どうぞ。きったないっすけど」
怒りに震える晴人の方をグッと掴み、恵介はフルフルと首を横に振る。「わかってるわ」とだけ返事をし、晴人はその「きったない」部屋に足を踏み入れた。
「テキトーに座ってください。ビールでいいっすか?」
「俺はお前と酒を飲みに来たんやない」
ピシャリと言い放ち、晴人は腕を組んで立ったままヒカルを見据えた。
「何か…雰囲気変わりましたね、ハルさん」
「結婚して、4年生の娘がおる。変わって当然や」
「へぇー。あのハルさんが」
同じ事務所に所属していたのだから、ヒカルも当然「千彩と出会う前のハル」を知っている。ニヤリと笑うヒカルを、「あんま刺激すんな」と恵介が窘める。
「MARIさんっすか?相手」
「ちゃう。MARIはMEIJIと結婚した」
「へぇー。やっぱデキてたんだ、あの二人」
まるで「息子のことはどうでもいい」と言わんばかりのその態度に、晴人の怒り指数がぐんぐんと上がって行く。マズイ…と、学生時代から親友をやっている恵介は咄嗟に晴人の肩を掴んだ。
「何や」
「セナに言われたやろ?」
「わかっとる」
「頼むから落ち着いて。さっさと話して帰ろうや。な?」
縋るような恵介の目に、晴人は留守番に「子供三人」を置いてきたことを思い出した。
「起きたらややこしいからな」
「やろ?さっさと終わらそ」
出る前に言い付けてきたものの、寝起きの千彩がそれを思い出すとは限らない。はるがいない!と泣き出してしまえば、聖奈では勿論のこと、自分でさえ携帯越しでは宥めきれないことは明らかだ。ここは恵介の言う通りにするに限る。と、晴人は一度深呼吸をして缶ビールを傾けるヒカルの前に腰を下ろした。
「リュージ、お前の息子で間違い無いな?」
「そうっすよ。ドラゴンの「龍」に漢字の「二」で龍二っす。いい名前っしょ?」
そんなことはどうでもいい!と、晴人は逸る気持ちを無理やり抑え付けた。
「何で放ったらかしてんねん」
「だって、面倒じゃないっすか、ガキって」
「せやったら何で産ませた。母親は誰や」
「わかんないっす。ある日起きたらソファで泣いてたんっすもん」
空いた缶を転がし、ヒカルは天井を仰いだ。そして、ポツリ、ポツリと言葉を押し出す。
「俺だってね、初めは頑張ってたんっすよ。ガキだけ置いてかれて誰が産んだかもわかんねーし、ガキの育て方なんかもっとわかんねーし」
よいしょ、と立ち上がったヒカルの背中が、モデルをしていた頃とはまるで別人のように小さく見えて。二人が顔を見合せて掛ける言葉を探しているうちに、再びヒカルが話し始めた。
「女に預けて仕事行ったりしてたんすけど、それも限界あるし。モデルなんか出来なくなって実家に連れて帰ったんすけど、帰ったら帰ったで親にギャーギャー言われていられなくなってね。結局何やかんやと仕事転々としながらアイツ育てて…疲れたんすよ、俺。もうしんどいっす」
しゃがみ込んで頭を抱えたヒカルを、二人は責めることが出来なかった。
千彩が今の聖奈と同じ年だった頃、母親の美奈はアルコールに溺れて完全なネグレクト状態だったと吉村が言っていた。言葉も知らず、笑うことも泣くことも無く、まるで人形みたいだった千彩を人間にしたのは、他でもない吉村だ。
そんな苦労話を思い出し、晴人はグッと唇を噛んだ。
「龍二は…俺と嫁さんで育てる」
ゆっくりと押し出した晴人の言葉に目を丸くしたのは、掛ける言葉を探していた恵介で。結局考えていた言葉も頭から吹っ飛び、「ちょっ…!」と晴人の肩をバシバシと叩くことでしか意思を表示出来なくなってしまった。
「何や。痛いやろが」
「待ってや!そんなん勝手に決めたあかんって!」
「千彩は了承済みや」
「えー!?もう!何なん、この夫婦!」
いくら恵介と言えど、この夫婦の突飛な思考についていける人物はそうそういない。けれど言われている張本人であるヒカルは、ふっと笑い声を洩らして缶ビールを片手にガシガシと頭を掻いた。
「んじゃ、お願いします」
「ちょっ!ヒカル!」
「いいじゃないっすか。ハルさんガッポリ稼いでるし、ガキが一人増えたところで苦労しないっしょ」
突き放すようにそう言ったヒカルの目は、心なしか潤んでいて。それを確認した晴人は、コタツの上に置いてあったペンを握り、置きっぱなしになっていた封筒の裏に住所と携帯番号を書いた。
「会いたなったらいつでも来い」
「なんねーっすよ、会いたくなんか」
「いつでも来い。俺と嫁さんでしっかり育てたるから」
グッとヒカルに封筒を押し付け、晴人は未だうろたえている恵介の腕を引いて立ち上がった。
「帰るぞ、恵介」
「えっ!?ええん?ホンマにええん?」
「ええんや」
強引に恵介の腕を引いて立ち上がらせた晴人は、ドンッとその背中を押して玄関に追いやり、しゃがみ込んだまま頭を垂れているヒカルを振り返った。
「うちの嫁は、お前と同じような親に育てられた。それでも、助けてくれた人がおって、ええ女に育った。「あの」俺が惚れるようなええ女にな」
「ハル…さん」
「俺はお前が言うようにガッポリ稼いでるから、ええマンションに住んでええ暮らししてる。ガキが一人増えたかて何の負担にもならん。寧ろ、何の苦労もなく息子が手に入るんやからラッキーや」
聖奈の出産時に相当な思いをした晴人は、二人目を欲しがる千彩にずっとピルを飲まし続けていた。もう二度とあんな思いはしたくない。そう思う晴人にとって、千彩の体に負担をかけることなく「二人目」が手に入るのだから、負担どころか言葉通りラッキーだとさえ思っている。
「冷静になったらいっぺん来い。うちの嫁と娘に会わせたる」
そう言い残し、晴人は扉を開いた。
頬に当たる夏の夜風が、何故かひんやりと冷たく感じた。